自分が何を目的としてDJをするかで
活動の仕方が変わってくると思う
日本発のテクノDJを代表する存在の一人、田中フミヤ。国内ダンス・ミュージックの黎明(れいめい)期である1990年代より活動し、現在はドイツのベルリンを拠点に各国のギグに出演しながら、自身の作品リリースも継続している。世界中のトップ・アーティストたちと肩を並べて活躍しつつも「DJ活動の仕方に正解はない」と話す田中。その彼の軌跡に学ぶとしよう。
◆Fumiya Tanaka's Steps
・1990年代にDJとしてメジャー・デビュー
・レーベルとパーティのオーガナイズ
・自分の作品を作るためにベルリンへ移住
・アナログなやり方でも交流を広げる
自作を持つことがDJの価値になる
田中フミヤは比類なきテクノDJとして活動しながら、op.discやSundanceといったレーベルを主宰してきた。また、彼の『CHAOS』は名物ロングラン・パーティとして、日本のダンス・ミュージック・フリークで知らない人はいないほどだ。
長年にわたり自身のダンス・ミュージックを追い求める田中は現在、その音楽の中心地であるベルリンに拠点を置く。独自のスタンスを貫く彼は「自分の経験談がDJを志す人にとって参考になるかは疑問ですが」と言いながらも、取材に応じてくれた。まず、日本からベルリンへと移り住んだ理由とは?
「日本に住んで、日本で活動しながらも、世界をベースにしようと試行錯誤をしていました。それはDJとしてやっていくだけではなく、自分の音楽を作って、その音楽とちゃんと向き合いたかったから。〜
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