製品開発ストーリー:SHURE KSM8

1939年にダイナミック・マイク用単一指向性カートリッジ、Unidyneを開発したSHURE。1966年にその発展形であるUnidyne IIIを搭載したSM58を世に送り出した。それから50年たった今年、同社が満を持して生み出したKSM8は、SM58をはじめとする従来の単一指向性ダイナミック型の特徴でもあった近接効果を低減。Dualdyneと名付けられた新カートリッジが、そのサウンドの鍵を握っている。今回、シュア・ジャパンとヒビノインターサウンド共催の発表会で来日した、プロダクト・マネージャーのジョン・ボーン氏をキャッチ。KSM8開発の舞台裏を伺うことができた。

近接効果を低減したDualdyneカプセル採用
世界初デュアル・ダイアフラム・ダイナミック・ハンドヘルド・マイク

1939年にダイナミック・マイク用単一指向性カートリッジ、Unidyneを開発したSHURE。1966年にその発展形であるUnidyne IIIを搭載したSM58を世に送り出した。それから50年たった今年、同社が満を持して生み出したKSM8は、SM58をはじめとする従来の単一指向性ダイナミック型の特徴でもあった近接効果を低減。Dualdyneと名付けられた新カートリッジが、そのサウンドの鍵を握っている。今回、シュア・ジャパンとヒビノインターサウンド共催の発表会で来日した、プロダクト・マネージャーのジョン・ボーン氏をキャッチ。KSM8開発の舞台裏を伺うことができた。

SM58が築いた技術革新に並ぶべく
イノベイターSHUREが取り組んだ新たな挑戦

単一指向性マイクの“近接効果”とは、マイクに近づくことで低域が膨らんでいく現象だ。KSM8はこれを解消するために、心臓部であるDualdyneに、コイルの付いた通常のダイアフラムに加えて、電気的にはそのダイアフラムとつながっていないもう一枚のパッシブ・ダイアフラムを装備。これによってKSM8は、近接効果の低減だけでなく、極めてフラットな特性と、あらゆる帯域において均一なカーディオイド特性を獲得したマイクとなった。このKSM8を氏が作ろうとしたきっかけもまた、SHUREがSM58を生み出したメーカーだということにある。

「SM58はこの50年、ダイナミック・マイクのスタンダードでしたが、万が一その地位を脅かすものが来たらどうなるのかと自問自答したのです。ダイナミック・マイクのイノベイターであるSHUREのスタッフとして、SM58がその王座を分かち合うことがあった場合、それはSHUREのイノベーションでなければならないと考えました」

そうしてボーン氏やSHUREのエンジニア陣は、単一指向性マイクが構造的に持つ近接効果に対して、真剣に向かい合うと決めた。それが7年前のことである。

「マイクのエレメントは本来無指向で、指向性を生み出すには背面からの音をキャンセルする機構を設けます。Unidyneをはじめとする単一指向性ダイナミック・マイクは、ポートと、音の通り道となるトラップを設け、背面から来る音をダイアフラムの表と裏へ同時に到達するようにしてキャンセルしています。ただし、周波数によって波長が異なるので、マイクとの距離が近くなると周波数ごとにトラップの中で音の流れに違いが生まれ、低域が強くなる。これが近接効果の起こる理由です。SM58に限らず、すべてのダイナミック・マイクは近接効果というものがある程度発生します。開発に7年もかかったのは、これとは全く違った構造を持つものを、ゼロ・ベースで生み出す必要があったからです」

▲SHUREプロダクト・マネージャー/グローバル・プロダクト・マネジメント担当のジョン・ボーン氏 ▲SHUREプロダクト・マネージャー/グローバル・プロダクト・マネジメント担当のジョン・ボーン氏

デュアル・ダイアフラムの着想は
先行するKSMコンデンサー・マイクから

ボーン氏やSHUREのエンジニア陣は、この近接効果問題の解決の糸口として、デュアル・ダイアフラムに着目した。つまり、背面からの音を直接メインのダイアフラムに当てず、もう一枚のダイアフラムを通じて低域成分を部分的にブロックするという手法だ。

「SHUREにはKSM9をはじめ、2枚のダイアフラムを備えたコンデンサー・マイクがあります。これは指向性切り替え機能を持たせるための仕様ではありますが、ダイアフラム1枚のモデルに比べて単一指向時の近接効果が抑えられることが分かっていました。ですので、“ダイアフラムを2枚にすれば近接効果は減らせる”という仮説自体は当初からあったのです。しかし、この方法がダイナミック・マイクで試みられたことはこれまでありませんでした。また、開発に当たって、我々の先輩エンジニアが記したUnidyneの開発ノートをあらためて読み直しました。200ページにわたって手書きの数式が並ぶノートが何冊もあるのですが、どういう数式を用いて彼らが単一指向のUnidyneを生み出したのか、見直してみる必要があると感じたのです」

当初の基礎研究でKSM8のプロジェクトにかかわっていたスタッフは6人程度。アコースティック・エンジニアが設計し、それに基づいてメカニカル・エンジニアが試作品を作るという作業を繰り返していた。ボーン氏は今回の来日で試作段階のものを幾つか持ってきてくれたのだが、細かいものを入れれば500種以上の試作品が作られてきたという。

「注射器のようなシリンダーが付いたものがありますが、これが最も初期のもので、ダイアフラムを2枚使えば近接効果の軽減が可能だということを、実際に耳で聴いて確認できたのはこれが最初です。これ以前のものもありますが、何というか……金属ゴミのようなものです(笑)。ある試作品とその次の試作品の差は、何が違うかと言えば、“少しずつ良くなっている”としかいいようがないですね。何かを改善すると、別の何かがうまくいかないから、それを改善する方法を考えて……ということの繰り返しです」

ちなみに試作機のシリンダーは、カートリッジ内の空気容量を調整するための機構だ。製品となったKSM8には、クワッド・チューブと呼ばれる4本の柱状空気孔があり、そこでカートリッジ内に必要な空気容積を得ている。「ある試作機では、4本の柱それぞれにシリンダーが1本ずつ付いたものもありました」とボーン氏。

「こうしたプロトタイプを作る場合、社内のツール・ショップにあるパーツを使うこともありますし、3Dプリンターで新たに作ることもあります。今はコンピューター上でシミュレーションして、ある程度の確証に至らない場合は実製作にはいきません。とはいえ、今回は試作を作るメカニカル・エンジニア・チームにとって、非常に大きな労力がかかりました」

▲ボーン氏が来日時に持参した、KSM8の試作品の数々と、グリルを外した製品版KSM8(右端)。一番左のシリンダーが付いたものが最も古く、次の2点がカートリッジ部の試作。中央はBeta 58Aのハンドルを取り付けたもので、基礎研究の最終段階のころのものとのこと。その右が“アルファ・サンプル”と呼ばれ、ライブ現場でのテストも行われた ▲ボーン氏が来日時に持参した、KSM8の試作品の数々と、グリルを外した製品版KSM8(右端)。一番左のシリンダーが付いたものが最も古く、次の2点がカートリッジ部の試作。中央はBeta 58Aのハンドルを取り付けたもので、基礎研究の最終段階のころのものとのこと。その右が“アルファ・サンプル”と呼ばれ、ライブ現場でのテストも行われた

既存製品からのパーツ流用は一切無し
生産機械やラインも専用に新設

このKSM8製作プロジェクトには、Kohlrabi(カブの一種)というコード・ネームが付けられていた。開発開始から3年、実際のマイクの形として試作機が出来上がった時点で、基礎研究から製品化プロジェクトに移行することになるが、製品としてのKSM8を完成させるためにもかなりの時間を要した。

「基礎研究チームから出てきたのは、“こういうふうにしたらこういうマイクができる”というものですから、それを実際にどういう方法でどういう手順にしたら製造できるのか、耐久性を担保するのかといった課題があります。通常は、基礎研究の段階でもう少し製品に近い状態の試作品ができていることが多いのですが、KSM8についてはそこから4年もかかりました。なぜなら、構造のみならず、パーツも素材、大きさ、形状、すべてにおいて、KSM8は既存のものを全く使用していないからです。基礎研究チームからは“そういう発想はすべて捨てないとこの製品はできない”という助言があらかじめありました」

カートリッジのクアッド・チューブは上下のパーツがレーザー溶接されているが、裏面をうまく溶接するためにミラーでレーザーを反射させ、内部から裏側を照射する装置を作ったことが発表会で語られていた。ボーン氏は、それはあくまで分かりやすい一例であり、実際にはすべての生産工程において、全く新しい手法が採られたという。

「こうした理由からKSM8用に新しい生産ラインを設けることになったのですが、機械も工程も異なるので、生産技術部のスタッフは頭を悩ませていましたね。“SM58の生産ラインを増やす”といったケースとは、全く違うことが望まれるわけですから。カートリッジへダイアフラムを接着する場合も……もちろん既存の製品でもそうした工程はあるのですが、どう固定し、どう回転させ、どう接着剤を塗布するのか、そうしたプロセスそのものも全く新しい方法を考えなくてはなりませんでした」

▲SHUREが公開しているムービー「Shure KSM8 ユニダインからデュアルダインへ」より。開発中のDualdyneに4本のシリンダーが取り付けられている。http://www.shure.co.jp/go/dualdyne ▲SHUREが公開しているムービー「Shure KSM8 ユニダインからデュアルダインへ」より。開発中のDualdyneに4本のシリンダーが取り付けられている。http://www.shure.co.jp/go/dualdyne
▲同じくムービー「Shure KSM8 インサイド DUALDYNE」より。カートリッジ・ハウジングをレーザー溶接する前に重ねているところ。パッシブ・ダイアフラムとその外周にクアッド・チューブが見て取れるhttp://www.shure.co.jp/do/insidedualdyne ▲同じくムービー「Shure KSM8 インサイド DUALDYNE」より。カートリッジ・ハウジングをレーザー溶接する前に重ねているところ。パッシブ・ダイアフラムとその外周にクアッド・チューブが見て取れる。http://www.shure.co.jp/go/insidedualdyne

7年後に製品が完成に至る確証が無くても
新しいものへの理解で進めるSHUREの哲学

7年もの長い年月をかけて、ようやく市販品の生産体制が整ったKSM8。実は1年ほど前から、“ベータ・サンプル”と呼ばれる評価用試作機が、ひそかにさまざまな現場に投入されていた。

「例えばジェームズ・テイラーのバック・コーラスで、ベータ・サンプルを使っていただき、非常に良い評価を得ました。ベータ・サンプルは音質面ではほぼ完成しており、その後耐久性などのテストを重ねて、製品版へと至りました」

SHURE製品はそのテストの厳格さでも知られている。例えばKSM8のカーボン・スチール・グリルには疎水性織布が裏打ちされて耐水性を高めているが、30分間シャワーに浴びせるなどの過酷な試験をしているという。さらに、こんな新たな試験も加えられたそうだ。

「かつてないほどカートリッジ内の気密性が高いので、気圧の影響を受けるんです。ある日、低気圧が近付いた日にテスト生産したKSM8のカートリッジが、高気圧で破裂するということがありました。これでは空輸する際に壊れてしまうので、音質に影響の無いほどの小さな穴を開けて、対処するようにしたのです」

こうした長きにわたる開発の結果、かつてないダイナミック・マイクが生まれた。さまざまな物事がめまぐるしく進捗していく現代において、これだけの長期間を開発に費やせることは、SHUREの大きな強みと言えるだろう。ボーン氏はこう結んでくれた。

「開発開始から7年後にこの製品が完成に至るという確証は無いわけで、こういうアイディアを経営陣が理解して、サポートしてくれる……SHUREが新しいものへの理解があることは大きいですね。もちろん、我々開発陣があきらめないことも大事です。これくらいの時間をかけられたからこそ、プロ・オーディオのマイクにおいて、これだけ大きな革新をもたらすことができたと思っています」

▲KSM8のカートリッジを採用したワイアレス送信機用ヘッド、RPW174(120,000円)もラインナップされている ▲KSM8のカートリッジを採用したワイアレス送信機用ヘッド、RPW174(120,000円)もラインナップされている

KSM8の内部構造

▲KSM8の内部構造

問合せ:ヒビノインターサウンド TEL:03-5783-3880 www.hibino-intersound.co.jp

『サウンド&レコーディング・マガジン』2016年6月号より転載

サウンド&レコーディング・マガジン本誌で、写真3&4で紹介している動画リンクに誤りがありました。本記事のURLをご参照くださいませ。読者ならびに関係者の皆様にご迷惑をおかけしたことを深くおわび申し上げます。

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