新作『Heligoland』発売記念!〜マッシヴ・アタック発掘インタビュー【2】

「メンバーが驚きわくわくするようなアルバムを作ることが最終的な目標だった」(ニール・ディヴィッジ/1998年インタビュー)

サウンド・システムのバイブとポスト・パンク、ブレイクビーツを結びつけ、世界に"ブリストル"の名をとどろかせたマッシヴ・アタック。2010年2月には待望のニュー・アルバム『Heligoland』がリリースされるが、その予習的な意味合いも含めて、1998年にリリースされた3rdアルバム『Mezzanine』リリース時のインタビューを掲載しよう。結果的に3D、ダディ・G、マッシュルームの3人がそろう最後のアルバムとなった同作の制作過程について、共同プロデューサーであるニール・ディヴィッジが語っている。


[この記事は、サウンド&レコーディングマガジン1998年7月号のものです] 
Text:Richard Buskin Traslation:Peter Kato


"トリップホップ"と呼ぶにしろ、"ブリストル・サウンド"と呼ぶにしろ、マッシヴ・アタックというイギリスのバンドが、1990年代の音楽シーンの中で新しいジャンルを確立した事実に変わりはない。ディストーションから何とも形容しがたいものまで、それまでになかった型破りな不協和音サウンドを繰り返し反復するリズムの上にかぶせたその音楽は、まさにマッシヴなものであった。そんな彼らのサウンドトラック的感性を十分に堪能できる3rdアルバム『メザニーン』がリリースされた。そのレコーディングの秘密を探るべく、共同プロデューサーであるニール・ディヴィッジにインタビューを行なった。



アンジェロ・ブルスチーニのギターがアレンジの核となった



デイヴィッジは元々、ブリストルにある自宅に設立したささやかなスタジオから業界への道を模索したシンガー・ソングライターである。8トラックMTR、Commodore 64を使ったシーケンス・システム、サンプラー各種といったシンプルなセッティングながら、仲間2人とともに「DNA」というファースト・ヒットを生み、それがきっかけでデイヴ・スチュワートからカイリー・ミノーグ、キャンディ・ダルファーまでさまざなアーテイストのリミックスを次々と手掛けるようになる。その後、このプロダクション・チームの傾向はポップ/ダンスからユーロ・ハウスへと移行したが、これは業界全般についての基礎知識を勉強させる機会をデイヴィッジに与えただけでなく、より高性能なスタジオ機材を扱う機会を与えた。


しかしいずれにしろ、デイヴィッジの興味は常に商業的な成功よりも音楽そのものにあった。マッシヴ・アタックのメンバーであるグラント・マーシャル(ダディ・G)、ロパート・デル・ナジャ(3D)、アンドリュー・ヴォウルズ(マッシュルーム)がデイヴィッジに関心を寄せるようになったのも、オフビート分野に果敢に冒険を挑む彼の姿勢に注目したからである。


デイヴィッジが共同プロデューサーとしてマッシヴ・アタックと初めてコラボレートした作品は、アルパム『バットマン・フォーエヴァー』中のトレーシー・ソーンをフィーチャーした「ザ・ハンター・ゲット・キャプチャード・パイ・ザ・ゲーム」と、ポスニア支援チャリティのコンビレーション・アルバム用にレコーデイングした曲であるが、このとき共に確立した音楽制作方法が1996年初頭から始まる『メザニーン』プロジェクトで、パワー全聞となって花咲いた模様である。


「今回のプロジェクトはそもそも、1996年欧州サッカー選手権のテーマ曲作りを発端として始まった」とデイヴィッジか思い返す。


「アルバム全体のトーンは、そのとき確立されたと言ってもいい。当時のマッシヴ・アタックは、ツアー活動を通してあっちこっちのフェスティパルに出演しており、ようやく本格的なバンドとしての実力を付けていた。何せそれまではレコード・デッキ数台とマイク数本でステージに上がっていたユニットにしか過ぎなかったのが、ギター、ドラム、ベース、キーボード、ボーカルといった構減の本格的なパンドにまで成長したのだ。彼らにしてみれば新たな出発の気概を感じずにはいられなかったのだろう。パンドのこうした進化を新しいアルバムの中に何としても取り入れたいと考えたわけだ。


こうした背景があったので、1996年の欧州サッカー・プロジェクトではいち早くギタリストとして連中と同じブリストル出身のアンジェ口・プルスチーニを招き入れた。プルスチーニは現れるやいなや、素材を次々とTASCAM DA-88に録り始めた。そのときはまだハード・ディスク・レコーディング・システムを持っていなかったから、アンジェロが機関銃を撃つように次々とテープにぶち込んだギター素材を1つ1つ編集するのは大変な作業となった。ギター・ノイズやそのほかのサウンドの塊を1つ1つ取り出し、ループ、オーバーレイなどといったカット/コピー作業を地道にやり続けなければならなかったわけだ。しかし時間と手聞をかけただけあって、ほかにはないユニークなサウンドを作リ出すことができたと思う。結局はこのギター素材がアレンジの核のようなものとなり、ほかのサウンドのトーンを決定する重要な物差しとなったほどさ。


メンパーもおれも、あまり型にはまったやり方はしたくないと考えていた。柔軟性あふれる、ルーズな感じの、とにかく自由度の高いやり方を目指したんだ。1つのアイディアをいつまでもいじり回せるような、思い浮かんだアイディアをいつでも試すことができるような、そんなアプローチを第一にと考えたのさ。そして、そうしたアプローチを実現するため、おれはメンバーにDIGIDESIGN Pro Toolsが使える理競を作れと、Pro Toolsへの投資を強く勧めた。


曲作りはレコードもしくはほかのアーテイストが作曲したリズム・パターン、ベース・ライン、キーボードをサンプルして作ったベーシック・ループを何本か使い、その一部セクションを、例えば30分問繰り返し鳴らし続け、それに合わせてギター、ドラム、ベース、キーボードなど、ボーカル以外のパートすべてをメンパーやゲストに演奏させながら進めていった」


>続きを読む






▲収録曲「ティアドロップ」のビデオ・クリップ



massive_jkt.jpg
マッシヴ・アタック

『メザニーン』

 
この商品を「Amazon」で買う
この商品を「iTunes Store」で買う