ソフト・シンセを多用することで、これまでのアルバムよりもはるかにデジタルなものになったんだ
現代のエレクトロニカを代表するアーティスト、ティコ=スコット・ハンセンが、2024年にアルバム『Infinite Health』をリリースした。“未来への希望と過去へのレクイエム”をテーマに、これまでの作品を踏襲しつつ、より豊潤なエレクトロニック・サウンドで満たされた一枚となっている。今回は1月末に開催された東京公演の後に本人をキャッチし、インタビューを敢行。ライブ・セットからアルバムの制作秘話、プライベート・スタジオに至るまで、さまざまな話を伺った。
ライブ・サウンドはスタジオ作品と同等
──1月31日の渋谷Spotify O-EAST公演は超満員のお客さんで、素晴らしいライブでした!
ハンセン ワォ、ありがとう!
──ライブ機材は、どのような構成ですか?
ハンセン 各パートのサウンドについて言うと、ベースはプリアンプでドライブさせ、若干コンプを加えているだけ。つまりベース・アンプを使っていないんだ。簡単にシミュレートできるから、アルバムとほぼ同じ音だと言えるね。レコーディングで使ったNEVEのプリアンプと同じものではないけど、UNIVERSAL AUDIO Apollo X8P上でUADのUA 610 Tube Preamp & EQ Collectionをかけて、PSP AUDIOWAREのPSP InfiniStripも通している。ギターもアンプはなくて、IK MULTIMEDIA ToneXやAmpliTubeを使っているよ。
──シンセはいかがでしょうか?
ハンセン 大部分はソフト・シンセで、ほぼスタジオのサウンドそのままだね。というのも、プラグインでスタジオのサウンドがエミュレートできることを発見したんだ。ライブにおいては、ハードかソフトかの微妙な違いはそれほど重要ではない。今ではほぼ同等にプラグインで再現できて、基本的にはアルバムと同じシグナル・チェインをライブで使える。恐らく現在のライブは、これまでで最もスタジオのサウンドに近いものだと思うね。
──鍵盤を弾きながらも常にパラメーターを操作しているのが印象的でした。
ハンセン MOOG Minimoog Voyager Performer Editionの上に“コントロール・ストリップ”を貼り付けている。これはMIDIコントローラーで、グシャグシャなリバーブやディレイなど、さまざまなエフェクトを曲に応じてコントロールしているよ。ピンポイントで飛び道具的なディレイも加えられるので、曲間の切り替え時に使ったりもしている。コントローラーとして結構重要な役割を果たしていて、もっとカスタムしてコントロールできるパラメーターを増やしたいけれど、今は3つしかないんだ。VoyagerからはフィルターなどのパラメーターをMIDIで送出していて、ソフト・シンセもコントロールできるようにしているよ。
クリス・テイラーとの共同作業
──『Infinite Health』は主にインスト曲で構成され、シンセなどの電子楽器が目立っているように思います。その方向性は制作の初期から考えていたのですか?
ハンセン そうだね。シンセやエフェクトに重点を置いたんだ。もちろんいつものようにギターもたくさんあるけど、それらをよりシンセ的な方法で扱い、よりエフェクトを多用した感じにしたくてね。エレクトロニック・ミュージックのプロデューサーとしての原点に立ち返ると同時に、過去の3、4作で学んだ新しい要素も多く取り入れたいと思っていたよ。
──Instagramには“Day 800 of overdubs pls send help”という言葉もありました。過去の作品よりも制作に苦労したのでしょうか?
ハンセン それはどうかな? 今作はグリズリー・ベアのクリス・テイラーと初めて共同プロデュースしたんだ。お互いのやり方を学ばなければならず、それが新鮮で本当に刺激的なプロセスになったよ。クリスはバルセロナにいるから、いつも彼とトラックを送り合い、ミックスを聴いては“ああ失敗した。やり直さないと……”って感じだったよ。全体的には今までの数作より非常に早く完成したのに対し、作曲プロセスは長引いたように感じる。今作の多くはビートやリズムが先だったけど、これまでの曲ではまずメロディがあり、その背後にすべてを並べていくことが多かった。だから作業の進め方が逆で、“このリズムにハマるメロディはどんなものなのかな?”と探し続けなければならなかったんだ。その点では間違いなくかなり長い時間を要したと思うね。
──中でも時間をかけた曲は何でしょうか?
ハンセン 「Phantom」ではシンセ・パートをどうすべきか、的確なサウンドを出すのに長い時間がかかったね。シンセがミックスの中で抜けてきて、力強いものになることを望んでいた。普段はソフトなトーンのMOOG Minimoog Model Dを使って作曲していて、それよりもずっとアグレッシブなThe Sourceも持っている。The Sourceはフィルターとオシレーターに若干バイト感があって、何かが違うと思っていてね。そこでMinimoog Model Dのパートのボイシングをやり直したり、The Sourceを重ねることに多くの時間を費やした。The Sourceはプログラムするのが楽じゃないけど、今まで聴いてきた中で最も美しい音のシンセだと思う。リード・パートを作る上で間違いなくお気に入りの楽器の1つだね。もちろんMinimoog Model Dも大好きだよ。あと「Totem」は恐らく一番難しかった曲だったと思う。“コレだ!”と思えるものを見つけるまで何度も繰り返したよ。音色に関わることがほとんどだったけど、メロディも重要だった。そういったものの多くは、最後の最後でまとまったっていった。本当に長いプロセスだったけど、キチンと終えることができてうれしいね(笑)。
──クリス・テイラーとは、具体的にどのようなやり取りを行ったのでしょうか?
ハンセン 僕が作ったエレクトロニック・ミュージックとしての“ティコ・サウンド”に対し、彼がアンプを通して空気感を作ったり、スプリング・リバーブを使ったオーガニックなプロセスを加えたりしたのはとてもクールだった。そういった作業が本当にサウンドを広げてくれたよ。それには何か強い意図はなくて、彼が僕の音楽を知り、僕も彼の音楽を知っていたからできたことだと思う。良いスタート地点から始まり、時間がたつに連れて進化し、最終的にアルバムの方向性が定まっていった。実は彼に会ったことがなく、3月に初めて会う予定なんだ(笑)。それから一緒にヨーロッパをツアーするつもりだよ。
実機だったら考えすらしなかった方法
──スタジオの写真を拝見すると、多くのハードウェア・シンセに目が行きます。
ハンセン ビンテージ・シンセが好きだけど、今作ではできるだけ多くのソフト・シンセを使っている。フレキシブルさを高めることがゴールでもあったんだ。例えば、僕がMinimoog Model Dを使って書いた曲でも、SOFTUBE Model 72 Synthesizer SystemかUNIVERSAL AUDIO UADxプラグインのMoog Minimoogでリボイシングしている。結果的にソフト・シンセをたくさん使うことになり、どのアルバムよりもはるかにデジタルなものになったんだ。リバーブなどのさまざまなエフェクトをたっぷり使っていることもあるし、誰一人としてハードとソフトの違いを認識できないと思うよ。とはいうものの、僕はハードウェア・コントローラーが好きでね。ソフト・シンセのすべてのパラメーターを、SOFTUBE Console 1 Channelにマッピングして、オートメーションを書き込んだりして制御している。おかげで実機と同じような“つながり”を感じられるんだ。また、ハードウェアには大きなプラシーボ効果があると思っている。美しい楽器の前に座っていると、音が違って聴こえてくる気がするんだ。最近はより強くそう思うようになったし、少なくともMinimoogにはそう感じざるを得ないよ。
──「Devices」のブレイクでのリード・シンセも印象的ですが、何を使いましたか?
ハンセン UADxのMoog Minimoogだったと思う。実際のMinimoogでは恐らく作り得なかったサウンドの一例だね。実機を弾くときは、基本的にリアルタイムでパラメーターを動かさない。フィルターを開いてブライトになりすぎたりするのが怖くてね。ソフト・シンセを使って録音を始めてみて、“このフィルターをもっと開いたらどうなるだろう?”と思って試してみたところ、ビッグでオープンなMinimoogサウンドになったんだ。レコーディングの最中では決して下せない決断だったし、実機だったら考えすらしなかっただろうね。
──ドラムはどのように作っていますか?
ハンセン ローリー(・オコナー)がプレイしたドラムのライブラリーを切り刻んでループ化し、それを元に生ドラムをレコーディングして、そこにシンセで作ったキックやスネア、サンプル素材からエレクトリックなサウンドをレイヤーするというのが一つの方法だね。これまでの『Awake』や『Epoch』といった作品はまさにそうしているよ。そうだ、最近ROLAND TR-8Sを買ったんだけど、それは僕が最初に手に入れたリズム・マシンなんだ。ここ25年くらい実機のリズム・マシンを所有していなくて、ソフトのみを使っていた。これが今後の制作にどう影響するかを考えると興奮するんだ。
次はバンド・サウンド中心の作品に
──エフェクト・ペダルも多数お持ちです。
ハンセン いつもハードウェア・シンセをELEKTRON Analog Heatにつないでいて、決まったセットアップで使っている。STRYMON BigSky、Flint、GFI SYSTEM Specular Tempusが大好きだ。また、STRYMON Decoはほとんどの曲で少しだけかけてひずみを加えている。ただ最近はSTRYMONのプラグイン版を使って、コンピューターですべてのエフェクトを加えていることに気付いたよ。実機のペダルは、ある意味で強制的にエフェクトをコミットするのが良いところだね。
──STRYMONがお気に入りなのですね。
ハンセン 大好きだよ。BigSkyからAnalog Heatに接続するのが好きで、Analog Heatのハイパス・フィルターでハードにドライブさせると、かなりビッグなサウンドが得られるんだ。「Devices」のすべてのギターと多くのシンセは、そうやってひずませているよ。アナログ・ディレイならCHASE BLISSが好きかな。
──オーディオ・インターフェースは何を?
ハンセン LYNX STUDIO TECHNOLOGY Aurora(n) 32だ。最も美しいサウンド・コンバーターだよ。純粋でとてもオープン……ほかの人たちがどんな言葉で表現しているのかに興味がある。僕はAurora(n)の、正直でピュアなところが大好きなんだ。そしてパフォーマンスに優れたドライバーを備え、レイテンシーをしっかりと抑えている。この低レイテンシーにより、バーチャルな楽器をソリッドに扱うことができるし、演奏のパフォーマンスが特筆すべきものになるんだ。
──DAWはCOCKOS Reaperですね。
ハンセン 常に使っている。僕の体の延長のようなものだよ。ABLETON LiveもインストールしていてDrum Rackを使っている。このワークフローが気に入っているよ。Reaperはとてもフレキシブルなんだけど、それが故に問題が発生する可能性もあるんだよね。隅々まで理解していないとLiveのようにスムーズなワークフローにするのは非常に難しい。“よし、これだ”と感じられるようになるまで10年近くはかかったんじゃないかな。今、障壁を感じずにやれているのは、ReaperとMIDIコントローラーをつなぐプラグインHELGOBOSS PROJECTS ReaLearnのおかげだ。Console 1 Channelと組み合わせれば、本物のコンソールを使っている気分で作業を進められるよ。Console 1 Channelはノブの感触が心地良いのも最高だね。
──次の作品はどのようなものになるか、既に展望はありますか?
ハンセン フル・アルバムにするかどうかによって結果が変わってくるだろうけど、実は今回と並行して別のアルバムを作っていたんだ。つながりも感じられるから、すぐにでもリリースしたい。でも、年内にアルバム全体を完成させられるかどうかは分からないな。あとは、バンド・サウンドを中心とした作品も絶対に作りたいね。だから次のアルバムは、恐らく『Awake』(2014年)のようなものになると思う。ローリーとザック(・ブラウン)と一緒にスタジオに入り、あの頃のようにレコーディングするんだ。そして『Awake』以降に離れてしまったロック・ギターが主導するサウンドで、そこからもっと進化したような作品を作りたいと思っているよ。
Release
『Infinite Health』
ティコ
ビート/Ninja Tune BRC773
Musician:スコット・ハンセン(syn、g、prog)、コーシャス・クレイ(vo)、ザック・ブラウン(g)、ローリー・オコナー(ds)
Producer: スコット・ハンセン、クリス・テイラー、ザック・ブラウン
Engineer: クリス・テイラー、ハリー・コックス、スコット・ハンセン
Studio:プライベート