再生すれば、当時の気候や匂いまでよみがえる
ベルリンの体験をまるごと封じた“豊かな時間”の記録です
ジャズ、フォーク、歌謡曲などを自在に溶かし込む独自の作風で知られるシンガー・ソングライター、折坂悠太。2014年のデビュー作『あけぼの』以降、『平成』『心理』『呪文』と作品を重ねるたびにスケールを拡張してきた彼が、バンド一発録りの旅の記録『Straße』を完成させた。本稿では折坂本人と、ベルリン在住のエンジニア大城真にインタビュー。DIYでよみがえったベルリンのスタジオで録音し、その空気感をまるごと封じ込めたEPの舞台裏を追う。
ミスさえも魅力になる一発録り
──今作は2023年6月にベルリンでレコーディングされたということですが、その後シングル『あけぼの(2023)』、4thアルバム『呪文』とリリースし、2025年の今のタイミングで発表されました。単純な疑問として、制作からリリースまで時差が生まれた理由は何だったのでしょうか?
折坂 前提として、ベルリンでの録音には“録音そのものをドキュメンタリーにしたい”というテーマがありました。ほぼすべての曲を歌も含めて一発録りし、4分の曲なら4分間まるごと封じ込める、そんな意識で録ったんです。帰国後にアルバム制作の話が進んだとき、ベルリンで録ったピュアな一発録りと、日本で別で録り足したリッチな音像を混ぜると“コンセプトが薄まる”と感じました。だったら純度の高いまま別作品として出そうと決めたんです。その結果、日本で制作した『呪文』が先に世に出て、その後今作が独立してリリースされたという流れになりました。
──粗さやミスさえ残り得る一発録りを採用する決断に、迷いはなかったのですか?
折坂 ええ。当時から考えていたのは“録った素材を後でいじりすぎない”こと。もちろん別テイクと差し替えたり、ピッチを調整したりすればクオリティは上がります。でも、全く手を加えないテイクには微細だけれど生き生きとした“息遣い”が残るんです。ビートルズの音源でも、よく聴くと歌詞を間違えている箇所がありますが、それがむしろ魅力になっている。そうした“整っていない良さ”に振り切るには勇気が要りますが、『Straße』はその方法でやってみようと思いました。
──タイトル“Straße”はドイツ語で“通り”を指しますが、そこにはどんな思いが?
折坂 ベルリン滞在中、“○○straße”という名前の駅やバス停が多いなと思ったんです。録音したスタジオ、ボネロ・トンシュトゥディオ(以下、ボネロ)もパンクシュトラーセ(Pankstraße)沿いにありました。夕方5時に録音を終えて外へ出ると、人々が通りに面したテラスで飲んだり食べたりしていて。日本では“通り=通過する場所”というイメージが強いけれど、ベルリンでは暮らしの一部が現れているような感覚が面白くてタイトルにしました。
──EP収録曲の録音はボネロですが、作編曲などはその前に?
折坂 はい。滞在日数が限られていたので日本で曲作りとリハーサルを済ませ、ほぼ完成直前まで仕上げた上でベルリンに渡り、一気に録音しました。
──アレンジ面は、今作もサポートのバンド・メンバーの方々と発展させた形でしょうか?
折坂 そうですね。いつも通り、みんなでアイディアを出し合い、肉付けしていきました。
── 「凪(In Berlin)」は、『呪文』にも「凪」として別バージョンが収録されています。
折坂 大きな違いは間奏部分です。日本で録音した『呪文』版は、メンバーで整理して長尺の展開を作り、波の音なども重ねていました。一方の『Straße』版は原型に近い短い間奏で、何を演奏するかも決め切っていないぶんテイクごとにニュアンスが違う。結果的にテイクを重ねるほど硬くなっていったので、一番フレッシュだった初期テイクを採用しています。
── 「凪(In Berlin)」として、同作を『Straße』に再収録した理由は?
折坂 同じ曲でも録音環境や時期、編集でこんなに印象が変わる……そういった面白さを伝えたかったんです。聴き手にとっても発見があると思ったので、『Straße』には原型テイクをそのまま収録しました。
──ミックス面についてですが、「凪(In Berlin)」は“生々しい”一方、『呪文』収録の「凪」はシャープでタイトな聴き心地でした。
大城 実は「凪(In Berlin)」をミックスしたのは一番最後でした。当初は『Straße』 に入らないと思っていたので。『呪文』版は既にかなり追い込んだバージョンを作っていたため、『Straße』版は“力を抜いた生の質感”を残す方向で細部までやり込みすぎないようにしました。録音したスタジオの鳴りも全く違いますし、ボネロの空気感は『呪文』を録音したスタジオのものとは全く違う。そのときの響きやミュージシャンのバイブスを生かす方向でラフ目なミックスをしました。
折坂が即決したDIYスタジオ
──ボネロは、DIYで造られたスタジオだと伺っています。
大城 オーナーのトビー(トビアス・オーバー)が友人と5年かけて教会の横の集会所みたいな場所を改装したスタジオです。雨漏り防止の屋根塗装から吸音パネルの自作まで、全部DIY。音響設計だけはプロに入ってもらっていますが、工事は手作業です。機材もカスタム系が多く、例えばUREI 1176をパーツから組み立てたり、壊れたNEUMANNコンソールを修理して再活用したり。僕自身、若いころはNEVEのマイクプリをパーツから組んだり、古いライブ用ミキシング・コンソールを魔改造したりと、DIYで機材を作っていたんです。だからボネロに足を踏み入れた瞬間、テンションが爆上がりしました。トビーといろいろ会話を交わしていたら、僕と同じオンラインフォーラムGroup DIY(https://groupdiy.com/)の住人だったことも判明。もし自分がDIYでスタジオを作りつづけていたらこうなっていたかもしれないという、オルタナティブな自分の未来を見られたという点でもめっちゃアツい気持ちになりました。
──ベルリンでスタジオを探す際、最終的にボネロを選んだ決め手は?
大城 僕が下見で撮った動画を折坂君に送ったら、一発で“ここにしたい”と返事が来たからです。別スタジオも候補にあったのですが、ボネロのバイブスが段違いに良かった。DIY精神とスタジオの雰囲気が折坂君の感性にハマったようです。
折坂 スタジオでは、トビーから珍しい機材を次々に提案されていましたね(笑)。
大城 僕が見たことのないアウトボードも多く、相談しながら一緒に使っていくプロセスが楽しかったですね。例えばTELEFUNKEN Telefunken Echomixerをカスタムしたような正体不明のスプリング・リバーブ。“これめっちゃ良いからかけ録りしよう”と勧められて“一期一会だしやってみようか”と、その場でしか得られないサウンドに関しては積極的に拾うようにしました。僕は本来、エフェクトのかけ録りは控えるタイプですが、ボネロには魅力的なアウトボードがそろっていたので、トビーの提案を楽しみながら取り入れましたね。
折坂 その大城さんの熱量が僕らにも伝わって、“なんだココは!?”と未知の機材に囲まれながらセットアップし、その勢いのまま録音に入った感覚があります。
── トビーさんの提案が特に効果的だったのは何でしたか?
大城 トビーが勝手にBRICASTI DESIGN M7のホールか何かのプリセットをかけていたんですよね。せっかくなのでそれをプリントしようという話になり……(笑)。なので、今回はそのM7のホール、それからスタジオのルーム、EMT 140(ただし片チャン故障しててモノラル)のプレート、あと、EMT 240という4つのリバーブが、作品全体の空気感を形作りました。実はモノラル・リバーブも結構好きなので、そんな形で実機のEMT 140で遊べたのは味わい深かったです。
TR-808系ソフト音源から得た着想
──「友達」では、冒頭からドローン・サウンドが鳴っているのが印象的でした。
折坂 この曲は今作で唯一、後からコーラスと山内(弘太)さんのギター・ドローンを重ねています。もともとR&B風のリズム・パターンをROLAND TR-808系ソフト音源のシーケンスに打ち込んでいて、ベルリンではそれをバンド・サウンドへ落とし込んだんです。
── TR-808で!それは、楽曲のインスピレーションを求めて使用されたとか?
折坂 はい、意識していました。「友達」を作ったころは“今までと違う作曲方法を試す”というモードに入っていて、TR-808 も含めいろいろな機材を触りながらアイディアを広げていたんです。ただ、最終的にはバンド・サウンドになりがちなので、そこは今後の課題かなと思います。
──この曲は、半音で上がり下がりするボーカル・メロディや不安定なコード感も特徴です。
折坂 コロナ禍明けで“会えそうで会えない”友達関係の微妙さをメロディで表したかったんです。半音進行は昔から好きで、意外と歌いやすい。自分が自然に気持ち良く歌える流れを探った結果、こうなりました。
── 「トランポリン」のアウトロでは、スネア・ロールとギター・ソロの組み合わせが心地良いですね。
折坂 曲名通り“跳ねる”感覚を最後まで保ちたくて、アウトロで一段高くジャンプ(展開)させたんです。冒頭に入れたタム1発で地面を蹴り上げ、そのまま宙に浮いた状態でフェードアウトしていくイメージ。曲中でガラッと景色を変える展開を作るのは、僕の癖でもありますね。
──折坂さんの幾つかの楽曲では、一つの流れの中で急に景色が変わる“二曲同居”のような展開が印象的です。こうした構成は意識して作られているでしょうか。
折坂 歌詞も曲も“一段飛躍”させるのが好きなんです。日常の描写から突然、視点が宇宙レベルにズームアウトするような跳躍。聴き手が“え、何が起きた?”と思う瞬間を作りたくて(笑)。良い意味でリスナーの期待を裏切りたいんですよね。
音像の肝はギターのハードパン
──『Straße』に収録された6曲のうち4曲=「たこぶつ」「トランポリン」「友達」「さびしさ(For Tobi)」では、エレキギターとアコギのパンニングが強調されているなと感じました。
大城 はい。エレキは2台のアンプを使い、L/Rにハード・パンしながら“どちらを強く出すか”で定位を微調整しています。アコギも2本のマイクをステレオで立て、同じ手法でパンニングを決定しているんです。昔のロック/ソウル録音で聴かれるようなL/C/Rミックスの潔さが好きなのですが、今回は“奥行きを伴う広がり”がテーマ。そのため曲によってギターとアコギのバランスを変え、センターにはドラムのキックとスネア、それからボーカルを据えています。スネアのボトム側に立てた2本のマイクは、ORTF方式を参考に適度な距離と角度でざっくりと設置。それでスネアの広がり感を若干ながら演出しています。
──その立体的な音像を固めるまでに、まずどの曲で試行錯誤し、ミックス全体の“ものさし”を作ったのでしょうか。
大城 「たこぶつ」です。この曲は東京のスタジオ、僕が住んでいるベルリンのアパート内にあるスタジオ、当時学生として通っていたベルリン芸大のサウンド・スタディーズ・アンド・ソニック・アーツが所有するスタジオの3カ所でちょくちょく触りながらいろいろと模索した感じはありました。ここでつかんだ質感やダイナミクスが、他曲におけるミックスのものさしになっています。ギターの揺らぎ、コントラバスの低域の厚み、折坂さんの息遣いなど、“肩の力が抜けたような空気感”をどこまで残すのかも鍵でしたね。
──折坂さんとしては、その空気感をどう定義し、どのように判断しましたか?
折坂 例えば完全にブースを分けて録った場合は、音をきれいに振り分けられますよね。でも今回のボネロではライブに近い一室録音。同じ空間で鳴らした残響が随所に残っているんです。その空気感をそのままパッケージすることこそドキュメンタリー性だと思っています。つまり、曲を再生すると音だけでなくスタジオの“空気そのもの”が再生されるかどうかが大切なんです。
──ちなみにレコーディング・スタジオ以外、つまりベルリンでの生活体験も、幾分かは楽曲制作に作用しましたか?
折坂 音を録るときも、それ以外の散歩や宿での雑談時も、すべて含めて豊かな時間でした。『Straße』を再生すると当時の気候や匂いまで思い出します。現場では前向きなアイディアしか出てこなかったです。
──先月に開催されたNHKホール公演『のこされた者のワルツ』では、テレビ『みんなのうた』のレギュラー楽曲「やまんばマンボ」も演奏されていましたね。
折坂 中南米音楽に通じたメンバーのアイディアも取り入れ、子どもにも届くキャッチーさと、本格的なグルーヴを両立できたかと思います。それからパーカッションを担当したのは宮坂遼太郎君。2ndアルバム『平成』(2018年発売)からの仲間で、マンボのフィールを出す上で欠かせない存在です。
──折坂さんは以前から“子どもに届く音楽”を意識していると伺いました。今回「やまんばマンボ」を手掛けた狙いは?
折坂 普段あまり音楽を聴かない層、とりわけ子どもに届く歌を書きたいという思いは、活動当初から変わりません。『みんなのうた』は毎日流れる公共メディア。ここに曲を届ける機会は貴重だと思い、子どもが口ずさめるかどうかを徹底的に意識しました。
──ベルリン録音からNKHホール公演まで、濃密な体験を一気に重ねられてきました。次作では、どんなことに挑戦したいですか?
折坂 2023年のベルリン渡独から今日までの短期間で、5年分くらいの経験をした感覚があります。次はもう一度“宅録的視点”に戻ってみたいですね。自分だけの環境で音を作り込み、それを必要に応じてバンドという形でトレースする、そんな方法で曲を書いてみようと考えています。
Release
『Straße』
折坂悠太
(ORISAKAYTUTA)
Musician:折坂悠太(vo、g)、山内弘太(g)、宮田あずみ(b)、senoo ricky(ds)
Producer:折坂悠太
Engineer:大城真
Studio:ボネロ・トンシュトゥディオ