34年ぶりのインスト・アルバム『Tiny Scandal』完成
音楽愛あふれる作品に込めた思いを、機材であふれた自宅スタジオで聞く
1981年のデビュー以来、日本のポップス界の第一線を走り続けているシンガー・ソングライター/プロデューサーの角松敏生。近年、1970〜80年代の邦楽が世界的にブームになってていることを背景に、日本の若い世代の音楽ファンの間で過去の楽曲が“再発見”されるなど、国内外問わずますます存在感が高まっている。そんな角松が、レコーディング、ミックス、マスタリングを自ら手掛けた新作アルバム『Tiny Scandal』を完成させた。その内容は、角松自身が青春時代に多大な影響を受けてきた1970〜80年代の音楽の要素をふんだんに散りばめたギター・インスト作。角松らしい洗練された音像と音楽愛を、全8曲に濃縮したコンセプチュアルなものとなっている。角松がインストの新作を発表するのは、なんと1990年の『LEGACY OF YOU』以来34年ぶりのこと。今回は、ファン待望のインスト作を制作するに至った経緯から制作時の様子、さらには自身の音楽がカテゴライズされがちな“シティポップ”への思いまで、彼の自宅スタジオで幅広く聞いた。
自宅スタジオを作ったゆえの多作ぶり
──オリジナル・アルバムとしては2024年5月発売の『MAGIC HOUR 〜Lovers at Dusk〜』から約半年ぶり、Contemporary Urban Musicシリーズとしては第2弾作品となりました。インスト・アルバムの新作ということでは1990年の『LEGACY OF YOU』以来3作目です。
角松 リスナーの方々から“インストの作品が聴きたい”という声をずっといただいていたので、お応えしたいなと思ってはいたのですが、なかなか機会がなくて。
──その機会が巡ってきたんですね。
角松 そうですね。僕は自分なりに“事業計画”のようなものを持って活動をしてきているんです。例えば、“ここでツアーをやることが決まっていて、そのタイミングに合わせてアルバムを出して……アルバムを出すならどんな内容にするか?”とか。そういうことを考えながら何十年もやってきてる。その中で、“まだインストじゃないよね”みたいに、なかなかタイミングが合わなかったわけ。でも2024年はBillboard LIVEツアーの計画を立てましてね、横浜、大阪、東京で結構な公演の本数をやる大掛かりなツアーでした。だったら、リリースこそ間に合わないのですが、そのタイミングでインストの新作を披露できたらという気持ちになったのですよ。Billboard LIVEツアーは2年に1度くらいのペースで行っていて、『TOSHIKI KADOMATSU Plays The Guitar』と銘打って、インストを中心に聴かせることをテーマにしているんですね。曲作りはライブ前になんとか間に合いまして、アルバム発売前にインストの新曲をBillboard LIVEで発表できました。2024年はまず『MAGIC HOUR』の制作がありましたから、1年で2枚を制作するのは不安でしたが、間に合ってよかったです。まあ自分のギターのトレーニングの意味も兼ねていましたからね(笑)。
──インスト・アルバムの完成は34年ぶりで、ファンにとって待望です。『MAGIC HOUR』から短いインターバルでのリリースで、2022年の『Inherit The Life』、23年の『Inherit The Life II』を含め約2年半で4枚のアルバムを完成させています。創作意欲の旺盛さに驚かされます。
角松 『TOSHIKI KADOMATSU Plays The Guitar』を始めたのは2011年なのですが、その年にこのスタジオが完成したんです。で、ものすごい単純な言い方ですけど、使わないともったいないじゃないですか(笑)。しかも自宅スタジオなので、常にスタンバイされた状態で……それが心身に良いのかどうかは分からないけれど、働き過ぎになった結果として自然と多作になった感じです(笑)。
シティポップは呪いの言葉
──本作は、前作『MAGIC HOUR』から続くContemporary Urban Musicシリーズですが、どういうコンセプトがあるシリーズなのですか?
角松 『MAGIC HOUR』で第1弾と言っておけば、第2弾も作らなければならなくなるでしょ? そうやって自分にプレッシャーをかける狙いもあります。シリーズ・タイトルについて話すと、これ、長くなっちゃうんですけどいいですか?(笑)……僕が過去に作ってきた音楽って、“シティポップ”と呼ばれることがやたらとあるんです。それにものすごく違和感があって。“皆さん、そもそもシティポップって何だか知ってますか?”という感じなんですよ。
──というのは?
角松 1970〜80年代のアーティストたちは、僕も含め多くの音楽家が洋楽を模倣していたんです。当時のアメリカの音楽シーンは活発で、現在の音楽の元になるものがどんどん生まれてきた時代です。既存のロックやジャズやフォークだけじゃない、さまざまな音楽が生まれました。個人的には、ロックという音楽が完全に確立したのが1970年代だと思う。そこからいろいろ派生して、クロスオーバー、フュージョンみたいなものも出てきた。つまり僕は青春時代、そういうさまざまな音楽の変遷の真っただ中で生きてきたわけです。そしてそんな音楽たちを聴いて育ってきた。やがて僕らの先輩世代は、早々とそういうものを模倣しはじめた。で、それをまた僕らも聴く。そんなこんなで、1980年代に僕がデビューした頃は、どれだけ洋楽の要素をうまく模倣、咀嚼して、カッコ良いものを作るかってことに皆さん腐心されてた。僕もそんなイメージを大切にしながら音楽を作ってきたわけですが、単純に言えば自分の音楽的な好みを追求してきただけでね。あとは、実際に自分が暮らしてるのが東京ですしね、山や野原の歌を作ろうと思いませんでした。“都会的な曲を作ろう”とか、そういう確固たる意識も別にありませんでしたけど(笑)。ただそれだけの話なんですね。ところが売る側は、そういった洋楽模倣スタイルの音楽に“印”を付けたかったんでしょうね。ある意味、“昭和の滑稽さ”の1つです。“おしゃれだから”“若い女の子にウケるだろう”とか、そういう意味合いでね。レコード会社の宣伝マンだか広告代理店だか音楽評論家だか知りませんが、音楽家ではない誰かが勝手にでっち上げたんですよ。“シティポップ印”ですよ。勝手に印を付けられた。作ってる側は“何それ?”って感じでした。だから“シティポップの〜”って見出しを付けられるのがすごく嫌だった。ジャズやロックなどのように、ミュージシャン側から発信した“印”ではないからです。僕らからしたらやめてくれって感じでね、むしろ呪いの言葉なんですよ(笑)。ただ、時代と共にそんな印も忘れ去られていった。しかしここへ来て、まさかの“復活”をしちゃったんですよ、その呪いの言葉が(笑)。
──そんなに嫌だったんですね(笑)。
角松 それが事実です。面白いことに、今になって僕らが洋楽を模倣して作ってきた作品が、なんだか知らないけど突然海外でウケはじめたわけです。知人のクラブDJが10年くらい前に、1980年代の日本の音楽が“ブギー”って言われて、再流行してると教えてくれたことがありましてね、“へー”って思ってたら、また別のロンドンの友達から角松の曲がロンドンのクラブでかかっているよ”って。なんだか意味がわからなかったですよね(笑)。さらに、ここ数年テレビとかでもやたら取り上げられるようになった。ただ、僕自身は何の恩恵も感じてないですけどね。“へー”ってだけ。先に述べたように、非常に無責任な言葉ですよ。おそらく海外の誰かから“これは何という音楽だ?”と聞かれたときに、あの時代を知っている誰かが“これはシティポップっていうのさ”とか言ったんじゃないですかねえ。それが定着してしまった。実際の変遷を知りもしないのにね。迷惑な話です(笑)。海外の方々にシティポップという言葉が絶対的な文化だとは思ってほしくなくてね。あえてジャンルとして呼称するときに海外の方々にも伝わる正しい言い方は絶対あると思いました。それで、アメリカの友人に“海外の人も僕も納得する、僕の音楽の正しい呼称はないか”って相談したんです。2人で話し合って最終的に到達したのが、“Contemporary Urban Music”です。“コンテンポラリー”って言葉はものすごく便利で、“洗練されている”という意味もあるし、伝統的な音楽が時代と共に形を変えても、ベースには伝統があるようなタイプの音楽にも使える。例えば“ブルース・コンテンポラリー”とかね。だから、“今の時代の都会的な音楽”。同時に“アーバン・ミュージックは都市生活者が作る、都市生活者のための音楽”という意味ですね。そういう経緯もあって、これをシリーズ・タイトルにしちゃいました。ちなみに現在海外で人気と言われている80年代の日本の洋楽模倣系の音楽は、“Japanese Classic Contemporary Urban Music”という呼称が適していると思います。
──本作の発売に際して、角松さんは“ラリー・カールトン、リー・リトナー、アル・マッケイ、ジェフ・ベック、鈴木茂さんなどを全部詰めた”とコメントを出していました。まさにそういう印象のギター・インスト作になりましたね。
角松 そうですね、ある意味“確信犯的”なギミックを随所に散りばめて、分かる人が聴いたら思わずニヤっとするような作品を作りたかった。今回のアルバムのような古い音楽やそのエッセンスが匂う作品なんて、本家のアメリカのレジェンド・ミュージシャンも今は作らないでしょう。ならば自分が作ればいい。僕はそういう音楽を普通に聴いて育ってきたわけですしね。ブルーノ・マーズが言っていましたよね。“俺はずっと好きで聴いて、愛していたから、昔の音楽に似ちゃうのは当たり前だ”って。素晴らしい意見だと思いますね。先に述べた1970、80年代辺りの日本の音楽シーンが洋楽の模倣や借用から始まったように、そもそもポップ・ミュージックは、模倣と借用の歴史ですよ。誰かが誰かの音楽を聴いて憧れて、自分もやりたいって真似することから始まってる。エルビス・プレスリーだって教会でゴスペル音楽に触れて、それをやろうと思ったらああなっちゃいました。ビートルズはそんなエルビスが確立したロックンロールを聴いて感動して、自分たちでやったらああなっちゃいました。憧れて追求していく過程でオリジナリティが生まれていく。音楽家ってそういうものだと僕は思ってます。今作にはそういう思いがたくさん詰まっています。
──本作にはラムゼイ・ルイスの「Tequila Mockingbird」と、佐藤博さんの「Evening Shadows」という2つのカバー曲が収録されていますね。
角松 どちらも絶対に入れたいと思っていました。佐藤さんは、僕のインスト1作目の『SEA IS A LADY』の頃からすごくお世話になっていた方。2012年に亡くなったことがショックでした。この曲は佐藤さんとライブで一度だけ一緒に演奏したことがあって、そんな思い出もあるものですから、今回取り上げたかったんです。「Tequila Mockingbird」は、僕が10代の多感な頃に影響を受けていた1970年代の曲なので、その象徴として。
ギター・サウンドはAxe-Fx IIIで完結
──制作はどこから着手されたのですか?
角松 MIDI鍵盤をたたきながら、浮かんできた発想をMOTU Digital Perfomer(以下DP)に記録していく。そこから、ぼちぼち。インストの場合は歌モノと違って、ある意味ちょっと楽ですね。というのは、“歌詞”という制約がないので、割と自由に作れるんです。その代わり、季節感やシーンにはこだわります。“夜のイメージだったらこんな感じかな”とか、そういうビジュアル的な風景を思い浮かべながら着手することが多いかもしれません。作業としては、まずクリックを敷いてから、大体のテンポを決めます。その上でソフト音源でリズムのイメージを決めて、コード進行を作ります。プログラミングされたトラックでいこうと思った曲は、どんな音源を使ってどう作るかを掘り下げます。アナログ・シンセも多用します。また生演奏を主軸にしたい曲などは、ドラミングが手順的に正しいかどうかを検証しながらROLAND V-Drumsを自分でたたくこともあります。しかしあくまでデモで、結局はプレイヤーに演奏してもらうことになるのですが、ある程度ガッツリしたデモを作ります。なんなら、そのままCDにしても良いくらいのクオリティで。それを各プレイヤーに譜面と共に検証して聴いてもらって、“こんな感じで演奏してください”とオーダーしますね。
──主役であるギターは、どのタイミングで?
角松 曲にもよりますが、割と早いタイミングで録音してしまいますよ。このスタジオで録っています。ギター・アンプは使わずに、今はすべてアンプ・シミュレーター/マルチエフェクターのFRACTAL AUDIO SYSTEMS Axe-Fx Ⅲで完結させていますね。本当に優秀。良いアンプを使ってマイクで録ることも重要ですが、実機のアンプやマイクのセレクトなどを考えるよりも、Axe-Fx IIIのシミュレーションが非常に優秀なので、編集ソフトのAxe-Edit Ⅲで音を作ってしまっています。
──管楽器やドラムなど、ほかの楽器はレコーディング・スタジオで録音したのですか?
角松 管楽器は、セクションは外で録りましたが、ソロはこのスタジオです。ベースはこのスタジオでも録りますが、山内薫さんにご自宅で録ってもらったりもします。ドラムは以前はここで録ったんですけど、“アンビが欲しい” “デッドにしたい”などいろいろ欲が出てしまったので、今回はソニー・ミュージックスタジオをお借りしました。ブラスも昔からお世話になっているMIXER'S LABのエンジニアの川澄伸一さんに録ってもらいました。やはりそこは、餅は餅屋ですから。
──今作のミックスは角松さんがご自身で手掛けられているとのことです。
角松 はい。ここ2作は自分でミックスしています。やっぱり時間の制限やコストのことがあるから、自分でやろうと。DAWはDPで、プラグインをかなり使ってやってます。本来はエンジニアに任せたほうが楽だけど、自分は目指しているサウンドが分かるので、そこに対して最初から集中すれば終わりも見えやすい。もちろん、作業していて“違うかも”と立ち止まってしまうことも多々ありますが。今はWAVES CLA Classic Compressors、UNIVERSAL AUDIO UADなどプラグインがたくさんあるから、果てしなくできてしまいますよね。
──繊細さとダイナミックさのどちらも感じる仕上がりになっていると思いました。
角松 お恥ずかしながらって感じもありますけど。自分の中でまだ納得してないところもたくさんあります。それに、やっぱりレコーディングやミックスなどはエンジニアの聖域なんですよね。だからこそ、なるべく足を踏み入れたくないっていうのが本心ではあります。
ミックスの“親”は内沼映二
──そもそも角松さんは、ミックスに関する知識はどこで体得されたのですか?
角松 18、9歳でデビューしたとき、右も左も分からないままレコーディング現場を体感したときにプロのエンジニアを見て、“音に関するすべてを決めるのはエンジニアなんだ”と思ったんです。そのエンジニアは内沼映二さんだったんですよ、畏れ多いことに(笑)。その後、初めて自分でプロデュースした3枚目も内沼さんにミックスしてもらって、緊張しました。“もうちょっとこの音のレベル上げてください”とか伝えるのも一大決心でしたよ(笑)。その後長い年月、内沼さんと仕事をさせていただいて、やがて僕は必ず内沼さんの横にいるようになりました。EQやリバーブの設定を含め最初のミックスは内沼さんがやるんだけど、フェーダーのバランスなんかは僕にやらせてくれましたね。最終的にまとめるのは一緒にやりました。すごく勉強になりました。素晴らしい経験でした。同時に、思い描いている音にはならないこともありました。でも海外には、僕の大好きな音を作ったエンジニアが実際にいるわけです。それで、ニューヨークまで1人でそのエンジニアに会いに行きましたよ。で、直談判して。その人にミックスお願いしたら、やはり“その音”だったのです。発想や仕事の仕方が全然違う。それでその仕事を細部までチェックして、日本に帰って内沼さんに伝えるんです。そうすると内沼さんが“それはこういう意図があるのかもしれないね”なんてフィードバックをくれていろいろ試行錯誤して……もう、本当にラボ状態でしたね。
──海外でエンジニアの技術を目で盗んで、日本でも再現できるよう腐心されたんですね。
角松 電圧とかもいろいろあるので、“ニューヨークだからあの音ができるんじゃないかとも考えましてね。“日本でもあの音ができるのか?”と思って、1985年にそのエンジニアを日本に呼んだんですよ。いつも内沼さんと仕事をしているスタジオでその人にミックスしてもらったら、ニューヨークで制作した音と全然変わらないんです。見事でしたね。特筆すべきはやはり機材の使い方でした。そのエンジニアを東京に招いたとき、機材のオーダー・リストの中にPULTECのチューブEQがありましてね。当時の日本はデジタル化が加速していたので、“そんな古いの、どっかのスタジオに転がってるのを探すしかねえだろ”って感じでしてね、日本の現場は昔ながらの機材の価値を見出している人が少なかったのですね。アウトボードをどう使うかという考え方は、当時は日本と海外のエンジニアリングで結構差があったと思う。それが音の差も生み出してきた。そういう時代を僕は見てきてるんです。さらに僕、ウンベルト・ガティカとも仕事をしました。『ALL IS VANITY』は彼がミックスした。彼の仕事を見て、それをまた内沼さんに報告したりして。だから要は、ミキシングに関しては知識やと技術っていうのはある。ある程度、基礎的なこととか、聴かせ方は一流の先達を横で見てきたおかげで身に付けられたと思います。さまざまな楽器の定位とかは、概ね現在も伝統に基づいています。しかし、考えてみると面白いですよね。例えばドラムのソフトの音源でも1980年代のものを再現したものが多かったり、プラグインもUREIやNEVEのシミュレートだったりして。“昔のやつばっかりじゃん”って思うわけです。つまり、大衆音楽におけるその音像の作り方の基礎は、1970〜80年代に完成していたんですよね。プラグイン・リバーブだって、LEXICONやEMTなど、懐かしいのばっかりです。実機を使用してきた世代としては不思議な気持ちです。今はもうない機材もあるから、楽しいですけどね。
TWICEの音圧が羨ましい
──さらには、マスタリングもご自身で手掛けられたとのことですね。
角松 それもこのスタジオで。配信において音圧の差は結構大きくて、聴き手の印象が随分変わってしまうじゃない。できれば音圧はあったほうがいいけれど、でもやり過ぎると音が濁ってしまったり、ミックスが崩れたりする。そのせめぎ合いが難しいところです。今はIZOTOPE Ozoneっていう便利なプラグインがあるから、勉強させてもらっています。何年か前にTWICEの音がやたらデカくて。それで、ムカついたことがありましてね(笑)。“なんでこんなにデカくできるんだ”って。
──羨ましいという意味ですね(笑)。
角松 目立ちますからね。いろいろな国の音楽を聴いていても、韓国産の音楽は音圧がデカいものが多い。韓国のミュージック・エンタテインメントの仕事は、欧米の大衆音楽史の史学的な側面の理解度も含めて確かな裏打ちがある。ただ“今風”なだけじゃない。現在の本邦に欠けているところです。学ぶべき点が非常にあると感じますね。
──本作に話を戻すと、全8曲でさまざまな情景を想起させる、表情豊かな作品になりました。何より、角松さんの音楽愛が濃縮されて伝わってきます。ゆったりとした「Tiny Scandal」で幕引きになる流れからも、角松さんらしさを感じました。
角松 なんか、“自分も人生いろいろ良いことも悪いこともやってきたよな……”みたいな感じの曲ですよ(笑)。自分なりのブルースにしたかった。自分が影響を受けてきた時代とか、自分の足跡を振り返るような曲かな。聴いている人も1杯飲みながら、“いろいろあったな”って振り返るような曲で締めたいっていう作りを意識しました。いずれにしても、ニヤニヤしながら聴いてほしいですね。
Release
『Tiny Scandal』
角松敏生
ソニー:BVCL-1441
Musician:角松敏生(g、k、prog)、山本真央樹(ds)、山内薫(b)、森俊之(k)、本田雅人(sax、他)、鈴木英俊(g)、中川英二郎(tb)、中川就登(p)、エリック宮城(tp、flugelhorn)、川上鉄平(tp、flugelhorn)、小此木麻里(vo)、亜季緒(vo)、松井秀太郎(flugelhorn)、MINA(b)、今野均(vln)、石亀協子(vln)、伊能修(vln)、亀田夏絵(vln)、渡邉栞(vln)、中島優紀(vln)、堀内優里(vln)、ミッシェル藍(vln)、若旅菜穂子(vln)、小泉奈美(vln)、小林知弘(viola)、岩根衣季(viola)、日下部杏奈(vc)、小林幸太郎(vc)
Producer:角松敏生
Engineer: 角松敏生、川澄伸一
Studio:Laboratori di Musica NeNe、ソニー、Unibirth Studio