人々の繊細な感覚にフォーカスした
時間と共に多くを感じてもらえる作品です
ストレート・アヘッドなジャズにとどまらず、実験的アンサンブルに挑戦するSTEREO CHAMP、自身が歌うポップス作『POP MUSIC』など、多彩な表現を見せてきたジャズ・ギタリストの井上銘。約5年ぶりとなるリーダー作『Tokyo Quartet』は、盟友である石若駿(ds)、マーティ・ホロベック(b)、デイヴィッド・ブライアント(p、k)とのカルテットで描くジャズ・アルバムだ。レコーディングで使用した機材や自宅での制作環境など、『Tokyo Quartet』が作られた背景を井上に語ってもらった。
シンガーのように歌えるカルテット
──Tokyo Quartetとしての作品は本作が初めてですが、活動は以前からしていましたね。
井上 このメンバーで初めてライブをしたのは結構前なんです。2021年12月にブルーノート東京で2デイズのライブがあり、1日はSTEREO CHAMP、もう1日がTokyo Quartetでした。その後に新宿ピットインや渋谷WWWでもライブをしていましたが、まだ数えるほどで。やっと昨年の8月にレコーディングして、このメンバーのために新しい曲も作り、そこでよりバンドらしくなった感じですね。
──アルバム制作前のライブではまだオリジナル曲は少なく、メンバー各々の曲を演奏していたのでしょうか?
井上 それぞれが一緒に演奏してきたものや、自分の過去曲も織り交ぜてライブ・セットを組んでいたんですけど、このアルバムではバンドのために準備した曲に絞っています。
──このメンバーで活動するきっかけは、デイヴィッドさんやマーティさんが日本を拠点にしたことも大きかったのでしょうか?
井上 そうですね。2020年くらいからマーティと駿君とトリオでやったり、デイヴィッドのバンドに呼んでもらったりと、メンバーの誰かと演奏することが多かったんです。その中で“4人でライブをしたいよね”という話が自然と出てきて、“せっかくこのメンバーでやるなら、ブルーノート東京はとっておきの舞台になる”ということになって、最初のライブが実現しました。
──『Tokyo Quartet』はどのようなコンセプトで制作を?
井上 STEREO CHAMPの『The Elements』(2023年)では、楽器のアンサンブルや音響、ミックスなど、サウンド全体を聴いてもらいたい気持ちが強くありました。『Tokyo Quartet』では、もっと自分のギター・プレイ……弾きまくっている姿をみんなに聴いてもらいたかったんです。
──ギター・プレイを聴かせるという意味では、ギター・トリオという構成もあり得たと思います。デイヴィッドさんを起用したのはなぜでしょう?
井上 普段からいろいろなシチュエーションや編成でライブをしていますが、自分が一番慣れているのがピアノとのカルテットなんです。『First Train』(2011年)や『Waiting For Sunrise』(2013年)、『Our Platform』(2020年)もピアノとのカルテットで演奏しましたし、自分がシンガーになったような感覚でギターを弾くことができるのが好きで。
──デイヴィッドさんのサウンドにはどういったイメージを持っていますか?
井上 バッキングでコードをバーンと鳴らすだけでも、デイヴィッドが入ってくると全体のサウンドがガラッと変わるんです。リズム面もハーモニー面もですが、“デイヴィッドらしさ”にあふれています。特にリズムはとてもセクシーさがあって、自分のギターにもその雰囲気をまとわせてくれる。ボイシングもこちらのプレイが制約されない感覚で、鉄壁のサポートとフレキシビリティの両方を兼ね備えています。そんな中でギターを弾けるのがすごくうれしいんです。
──マーティさんと石若さんとは制作についてやり取りを重ねましたか?
井上 2人ともこちらの意図をとても汲んでくれるので何も言わずに任せられる部分が大きいんです。でも、例えば“キックやスネアはどんな音がいい?”“プレベとジャズベ、どっちで行く?”など、細かい点はしっかり確認してくれて。僕としても明確にアイディアがある曲もあれば、ふわっとしたイメージだけある曲もあるので、そういうサポートが今回も助かりました。
譜面で曲を客観視する
──制作はどのように進んでいきましたか?
井上 作曲では共演者の音や個性をイメージして、そこから導かれて筆が進むということが多いです。今作はリハーサルなどはやっておらず、そのままスタジオに集まって2日間で全部録り終えたんですけど、時間はあまりないわけじゃないですか。だから譜面と、曲によっては簡単なデモを作ってスタジオに持ち込みました。“次、この曲をやります”って譜面を配って、軽くデモを流して聴いてもらって、録り始める。そんな流れで10曲を録り終えられたのは、やっぱりみんながプレイヤーとしてとても優れているからだと思います。
──作曲時から譜面は書いている?
井上 「New Dance」は譜面を書かず、ギターを演奏しながらできた曲ですが、そのほかは作曲タイミングで譜面を書いています。書くことでアイディアが視覚化されて作曲が進むときもあるんです。それに、譜面になることで曲を客観的に捉えることができるというのもメリットですね。
──デモ作りはどのように?
井上 DAWはAPPLE Logic Proで、打ち込むときはMIDIキーボードのKORG MicroKeyを使っています。スライドなどの弦のニュアンスをしっかり伝えたいときは、自分でベースを演奏して録音することもありますね。今回のようなアルバムの場合、全体としては大体5trくらいのシンプルな構成で作ることが多いです。
──デモをDAWで作るようになったのはいつごろからですか?
井上 『STEREO CHAMP』(2017年)の「Comet 84」という曲のときです。当時はギターの多重録音でデモを作っていて、APPLE GarageBandを使っていたと思います。それからコロナ禍になって、自宅で録ったものをデータで送るという場面が多くなり、DAWの使用が増えていきました。
──自宅ではどのようにギターを録っているのでしょうか?
井上 LINE 6 HelixやNEURAL DSP Quad Cortexなどの高機能なマルチプロセッサーが好きなので、それらのUSBオーディオ・インタフェース機能で録っています。それだけでも生々しいサウンドが録れるんですよ。Helixで2系統出力して片方はドライ、もう片方はウェットのサウンドにして録音し、エンジニアに両方渡すということもあります。宅録だと音作りについての話し合いがしにくいので、自分のアイディアをウェットのトラックで表現するんです。
──『Tokyo Quartet』のデモ作りでも、HelixやQuad Cortexでギターを録ったのですか?
井上 自分の曲のデモでは、あまりギターを弾かないことが多いです。あくまで曲の雰囲気を伝えるものなので、適当なシンセの音でテーマを入れることもありますね。
──自宅ではアコギを録ることもある?
井上 去年に“チューリッヒ保険会社のGreen Music”というYouTubeチャンネルでにじさんじとのコラボ企画に参加して、そのときは自宅でマイクを立てながらアコギを録音しましたね。エレキギターのライン録り以外ではオーディオ・インタフェースのRME Babyface Pro FSを使っています。モニター用のスピーカーはJBL PROFESSIONAL 305P MKIIで、ヘッドホンはSONY MDR-CD900STです。
隠し味のビブラート・エフェクト
──今回のメイン・ギターは、最近よく弾いているZICO GUITARの井上銘モデル?
井上 ほとんどはZICO GUITARで、「Slumber」「Café Demeure」の2曲はNISHGAKI GUITARSに作ってもらったKohakuというフルアコを弾いています。箱モノのほうが太いクリーンは出しやすいので、ジャズっぽいサウンドが欲しいときにKohakuを使いました。
──ZICO GUITARのモデルはソリッドのSTタイプですね。どんなギターなのでしょうか?
井上 長崎にいる松崎浩二さんというビルダーのブランドで、先輩ギタリストである萩原亮さんの縁で出会いました。2022年に熊本で行ったライブへ松崎さんが来てくれて、打ち上げのときに“STタイプは弾かんと?”と言われたんです。FENDER Stratocasterへの憧れは昔から持っていたんですが、僕はGIBSONの箱モノで育ってきたのでFENDERのネックになじめないことが悩みでした。そう松崎さんへ伝えると、“銘君好みのネックを作るよ”と言ってくれて、3カ月後にはもう作ったギターを持って来て驚きましたよ。Stratocasterのスケールは25 1/2インチですが、このZICO GUITARのモデルは24 3/4インチでGIBSONのスケールを採用しているんです。Stratocasterより短いので弦の張力が弱く、音は少しポヨンとしていて、それによって生まれるダウナーなトーンが気に入っています。
──近年の井上さんのギター・トーンには不思議なピッチ感があるように思います。ZICO GUITARのキャラクターでしょうか?
井上 このギターの張力の弱さも影響していますが、隠し味的にビブラートのエフェクトをかけています。両方が組み合わさったときの音のくすみ具合が、最近の自分には落ち着くトーンなんです。エフェクトはLINE 6 HX Stompに入っているものを使っていて、曲によってドライ/ウェットやビブラートの深さを変えています。意味合いは少し違いますが、僕としてはクリーン・ブーストのようなイメージで使っているんです。
──『Tokyo Quartet』のレコーディング時は、どのようなギター・アンプを使いましたか?
井上 録りのときは駿君と同じブースで演奏したので、ギター・アンプを鳴らせなかったんです。そのためラインで録っていて、マーティから借りたDIのDEMETER VTDB-2Bを使いました。真空管を内蔵していて、これだけでもギター・アンプを通したようなサウンドになってくれるんです。録音したトラックは、最終的に僕が持っているMAGNATONE Twilighterで鳴らしてリアンプしてもらっています。
くすんだサウンドを大切にした
──ミックス段階ではどのようなイメージを持っていましたか?
井上 全体としても、ギターの音色のような少しくすんでいる感じを大切にしたいと考えていました。STEREO CHAMPではミックスの定位や残響などにこだわっていましたが、今回はもうちょっとジャズっぽい感じで、“録れたものをそのまま良くして愛する”というようなアプローチです。
──エンジニアの森田(秀一)さんとも、そのサウンドについてやり取りをしながら作っていったのでしょうか?
井上 僕はかなり行ったり来たりしてしまうタイプなので、一度調整してもらったものを前のバージョンに戻すなど、何度もやり取りさせてもらいました。でも、トータルとしてはダークなトーンを意識して進めていましたね。マスタリングはデイヴ・ダーリントンで、ナチュラルなV1、少しエネルギッシュなV2、その間くらいのV3という3つのバージョンを作ってもらいました。
──どれを採用したのですか?
井上 最終的にはほとんどの曲でV1、「Gmaj in Tojiya」のみV2を採用しました。やっぱりマスタリングは難しいですよね。現代の音楽サービスでは同じプレイリストにポップスとジャズの曲が入ることはよくありますが、曲が切り替わったときの変動が大きいじゃないですか。昔と比べて音圧戦争の流れは減ったと思いますが、完全に脱することは難しいだろうし、若いリスナーは音圧の高いサウンドは好きだし(笑)。いろいろな層やプラットフォームを考えて悩みましたが、最後にはV1で結論が出ました。
──ようやく作品化を果たしたTokyo Quartetですが、どんなアルバムに仕上がったと感じていますか?
井上 めちゃくちゃ分かりやすくてキャッチーというアルバムではないと思うんですが、時間と共に多くのことを感じてもらえる作品になっていると思います。そういう繊細な感覚や言葉にならない気持ちというものにフォーカスしたいと思い始めたんですよね。街にいる人々の複雑で多面的な感情が見えないところで動いている、というのが“リアル”だと最近は感じていて。“音楽を通して明確なメッセージを伝えたい”ということも素晴らしいし、そこにしかない強さもあるんですが、『Tokyo Quartet』は分かりやすく伝えたいことを含ませるのではなく、聴いてくれる人の心に委ねるつもりで作りました。リスナーにもそんな感覚で楽しんでもらえればうれしいです。
Release
『Tokyo Quartet』
Tokyo Quartet
(リボーンウッド)
Musician:井上銘(g)、デイヴィッド・ブライアント(p、k)、マーティ・ホロベック(b)、石若駿(ds)
Producer:Tokyo Quartet
Engineer:森田秀一
Studio:リボーンウッド