椎名林檎『放生会』インタビュー〜鳥越啓介/石若駿によるバッテリー。なんとなめらかな攻守の行き来

椎名林檎

鳥越君と石若君とは似たルートをたどった。私にとってもジャズは原体験の一部でした

5月27日に突如として情報が解禁され、同月29日にリリースされた椎名林檎の新アルバム『放生会』。椎名の故郷・福岡で行われる祭事の名を冠した本作は、男性ボーカリストたちを迎えた『三毒史』(2019年)に続き、7名の女性ボーカリストと共演した楽曲を含む13曲を収録している。今回、『放生会』の制作について椎名へ話を聞くとともに、ベーシスト鳥越とドラマー石若の対談、エンジニア井上雨迩へのインタビューを実施した。ここでは椎名林檎の証言をお読みいただこう。『放生会』の制作話はもちろん、鳥越啓介と石若駿のプレイヤー像、彼らと共通する精神性=ジャズについてなど、多くのことを語ってもらった。

 “この人はパンクスなのかも”と感じた

——『三毒史』では男性ボーカリスト、『放生会』では女性ボーカリストと共演しています。それぞれの作品で、曲を作る際の意識が違った部分はありましたか?

椎名 男性ボーカルとのデュエットでは、音域の異なる楽器同士の掛け合いを描きます。チェロとバイオリンのような。だからこそ挑戦したいこともありましたし、『三毒史』のほうが“作曲家としてやりたいことをやらないと”という意識だったかもしれません。『放生会』は、よりポップ・アート的に俯瞰で捉えてプランニングしようとしたと思います。

——参加されたボーカリストの方々のレコーディングでは、椎名さんがディレクションをしていたんですよね?

椎名 はい。でも、饒舌ではなかったですね。

——例えば「ほぼ水の泡」では、ももさんととても息の合った掛け合いをされていますね。ディレクションで歌いまわしなどをやり取りしていたのでしょうか?

椎名 お渡ししたデモの仮歌で唱法やアーティキュレーションも表現していたので、こちらが期待していることを読み取ってくださったんでしょう。さすがです。

——椎名さんが2人分の仮歌を入れて、ニュアンスをお伝えしていたんですね。

椎名 符割りなど含めて伝えるために、やっぱり仮歌は絶対にお渡しする必要があって……。その録音は自宅でAVID Pro ToolsとAKG C12VRを使って行いました。

——ちなみに、今月号はハンドヘルド・マイクの特集を掲載しています。以前からライブではAKG Elle Cを使われていたと思いますが、今も同じでしょうか?

椎名 Elle Cが生産完了品になったので、今はハーマンインターナショナルの方にご協力いただき、C636をベースにしたカスタム・モデルを使っています。

——本作は多種多様な楽器の名手たちが参加しているのもトピックです。その中でも、鳥越啓介さんと石若駿さんは本作におけるキーマンとなったそうですね。まずは椎名さんから見たお二人のプレイヤー像を聞かせてください。

椎名 最初に鳥越君とお会いしたときはアルゼンチンもののバンドだったので(編注:「カリソメ乙女(TAMEIKESANNOH ver.)」)、初めはそのイメージを持っていたんですけど、のちのちライブでいろいろなサウンドをプレイしていただくにつれ、お持ちの精神性はラテンやジャズには到底収まらないと気付きました。“むしろこの人はパンクスなのかも”と感じさせられる瞬間があったんです。鳥越君の生まれ持ったエレガンスや、これまで身に付けて来られた、とっぽい“訛り”を求めるようになってゆき、結果としていろいろな曲が生まれてゆきました。鳥越君がどうおっしゃるか分かりませんが、彼の精神性には親しみを覚えているんです。自分などにとって、“どジャズ”と“どパンク”はそんなに遠くないというか。その音楽の奥底にある性急さには近しいものがあると感じています。彼もそんなふうにお感じかも、と。

——そういう共通項のようなものがあると、曲のイメージの共有もしやすそうですね。

椎名 曲によって、いただきたいサウンドやタイム感というのは違うものですが、鳥越君はそれを言葉でお伝えしただけで、絶対に具現化してくださるんです。もはや、今では話をせずとも汲み取っていただけるようになりました。もうかなり長く一緒に演奏してもらっているので、私がどの曲のどの場面でどんなことを、どのように望んでいるのかをすぐお察しくださるんだと思います。

椎名林檎

——鳥越さんはプレイやサウンド面でも個性を持ったベーシストだと感じます。椎名さんからはどう見えていますか?

椎名 基本的な型となる部分をしっかりお持ちのプレイヤーだと思います。その上で変化球的な、トリッキーなアプローチをされるから、それが活きるし、面白いし、笑えるんです。

——演奏家としての幅広い感性が椎名さんに響いたわけですね。

椎名 鳥越君を含め、参加してくださっているプレイヤーの方々は演奏家としてだけでなく、作家としても優れていらっしゃる人ばかりです。ギターの名越(由貴夫)さんにも、よくアンサンブル全体を診ていただいています。鳥越君と石若君は管弦のスコアもいろいろにお書きになる人で、アカデミックかつ独自の作家性をお持ちです。つまり構造計算を迅速になさるうえ、特別な意匠のひらめきにも恵まれた方々。彼らの行き届いた演奏アプローチの裏付けとも言えますね。そういう部分での信頼というのもあります。

2人特有のトゥーマッチな几帳面さ

——石若さんはツアー『椎名林檎と彼奴等と知る諸行無常』から参加していますが、どういう経緯で?

椎名 これまたすばらしい作曲家でピアニストの林(正樹)君がBanksia Trioでいつも共演されていて、彼が紹介してくれたんです。周りの方々も“絶対に合うと思う”と言ってくれていたものの……。実際には、最初からバッチリ合ったわけではなく、リハーサルを通して徐々に相互チューニングしていく感じでした。私としても、せっかくだから石若君の良い部分を聴かせていただけるアンサンブルを提案したかったんです。今思い返すと、石若君もいろいろと探りながら試しながらやってくださっていたと思います。

——石若さんから、“フィルなどの部分に椎名さんのこだわりを感じて、アイディアをもらいながら展開していった”という話を聞きました。

椎名 和音楽器にしても打楽器にしても、優れたフレーズというのは口ずさめるものだとよく言われますよね。すべてがその決まりに従っている必要はないですけど、曲での相づちとして、決まりごととして、そういった歌心のある要素が何かと欲しくて。彼とは全然レベルが違うので甚だお恥ずかしい話ですが、私のピアノ以外のバンド活動はドラムから始まったんです。それも手伝い、“◯拍目にアクセントが欲しい”とか、そういう相談は確かに頻繁にしました。

——音階のある楽器ではないから、リズムのアクセントで歌心を生み出すと。

椎名 そうですね。それは楽器だけの話ではなくて、曲にもかかわることです。曲を聴いてくださるリスナーの方々は、私以上に曲のことを大事にしてくださいますよね。“手軽なポップス”として期待されているものをお出ししないといけない、私がそういう橋渡し役を担わなければいけないと思っている節もあります。

——鳥越さんと石若さん、お二人の協奏についてはどのように感じられますか?

椎名 いろいろな奏者と一緒に演奏している様子もこれまで拝聴してきましたし、どちらも甲乙付け難く素敵でしたけど、彼ら2人のとき特有の“トゥーマッチな几帳面さ”をもはや手放せません。私の曲においては、あらゆる面でそのトゥーマッチさが必要なんです。例えば、工業地帯に鳴り響く“ダダダダ”という規則的な機械音。そんな律儀なビートを“誰よりも速く”と2人にはよくお願いするんです。具体的には、ハイハットになんらアクセントを付けず、ベースで言えば全部ダウン・ピッキングで斬り刻むような。彼らが人力でそんな神経質さ、ヒステリックさを表現してくれる8小節間でしか得られない養分があります。

椎名林檎

——制作時、鳥越さんと石若さんにはどのようなデモを渡していましたか?

椎名 今回はAPPLE GarageBandでシンセ・ベースやエレクトロニックなドラムを打ち込んでいました。

——実際にはウッド・ベースと生ドラムというアコースティックな編成の曲が多いですが、“トゥーマッチさ”を表現するためにデジタルな音源で作っていたのでしょうか?

椎名 これまでは自分のディレクションを能弁にお伝えしたいがために、本番に近いサウンドやフレーズを一所懸命に物真似して打ち込んで、プレイヤーの方々にお渡ししていました。でも今はライブでよくご一緒しているし、言葉での表現だけで十分ご理解くださるので。何より、レコーディングで初めてご本人のプレイを聴いて、私自身が驚きたいんです。だから、今回は必要最低限の情報だけ含めて、あとは自由に表現していただくようにしていました。

——「生者の行進」や「公然の秘密(album ver.)」での高速スウィングなど、鳥越さんと石若さんの絡みが楽しめる楽曲も多いですね。

椎名 お二人による演奏を想定していると、当然そういう楽曲が出てきますよね。それに、先ほどお話ししたように、基本の型がある上で変化球も繰り出してくださる方々だから、こちらもにやつきながら思い切り書けるんです。南米に行ったかと思いきや、急に東京へ帰ってくるみたいな……。それはもう自由自在に余裕で表現してくださる。うれしいです。

——これまでもジャズをルーツに持つプレイヤーは多く参加されてきましたが、ジャズマンのリズム隊がアルバムを通して演奏しているのは初めてな気がします。

椎名 確かに、そうかもしれません。

——女性ボーカリストとの共演ということだけでなく、ジャズマンで構成されたバンドという点も、椎名さんが書く曲に影響していたのではないかと感じます。

椎名 ピアニストがガイドになってくれた気がします。林君だったり(伊澤)一葉だったり、“このピアニストと一緒に演奏したら、どんな側面を見せてくれるだろう”ということを考えながら、加えてボーカリストとの相性も想定しながら曲を作っていくのが楽しかったです。

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スウィングこそが自分の訛り

——鳥越さんは『放生会』について、“大枠で語ればジャズ作品と言えるんじゃないか”という話をしていました。椎名さんにとっても、ジャズという存在は特別なものなのでしょうか?

椎名 ポップスの作曲を始めるずっと前から、クラシックやジャズには、まず家の大仰なオーディオ機器で親しんできました。そして、楽器工場の多い静岡の小学校ならではでしょうか。一年生全員が年に一度の器楽演奏会で、お気軽にブロードウェイ・ナンバーに挑んだりするわけです。本場ビッグバンドでは金管セクションの歌うテーマを、最多生徒がピアニカ・セクションで代弁するようなアンサンブルでした。そこでピアノのオーディションがあって、強制的に、鍵盤楽器経験者が集められました。でもその生徒たちは鍵盤を弾かせてもらえずに、ただ机をたたかされました。指定のリズム・パターンをちょっとずつたたかされて、すぐ「はい、あなた」と指名され、結局私が全クラス分のピアノを担当することに。技巧というよりも、スウィング感のみをチェックされたんでしょうね。もっと弾ける生徒はほかにいたと思います。そういう経験もあって、“このハネ感こそが自分の訛りなのだ”という自覚を持つようになってゆきました。鳥越君や石若君とは全く同じではないですが、似たようなルートをたどって音楽に入り込んで行ったのだと思います。小一のころ、こうして“スウィングしなけりゃ意味がない”とたたき込まれた記憶をはじめ、私にとってジャズもまた、ありふれた原体験の一部でした。

——ポップスの音楽家としてジャズを取り入れたというよりも、そもそもジャズが基盤にあった上でポップスにアプローチしている感覚が近い?

椎名 そうですね。今まで、絵で言えば太い線と少ない色使いでのアプローチを目指して来たというか、曲をより単純にデザインすることを心がけてきました。それは変わらず、今やっと自分のホームに滞在したまま気楽に制作できるようになった気がしています。昔、新人は“ロックであるか/否か”という判決をまず受けねばならなかった。私も初期衝動と反骨精神のみを抽出したいと若いなりに努めていたものです。その瞬間は、豊かな音楽体験が邪魔に思えた。近視的に排他的に何かを作りたいと切望していた。もちろん薄命で破滅的なそういう表現を今でも心底好んでいます。かたや、この10年くらいでようやく、音楽的な出自を臆することなくごく自然に出し入れしつつ表現できるようになってきたとも思います。

——近年ではネオソウルやローファイ・ヒップホップなどが人気となり、Jポップにおいてもジャズ的なアプローチを取り入れている曲が多くなったと思います。そこには、ジャズというホームからポップスをデザインしてきた椎名さんの影響も多分にあると感じているんです。最近ではおしゃれなコード進行の定番として、共通言語のように“丸サ進行(丸ノ内サディスティック進行)”という表現がなされていますし。

椎名 何を以って“ジャズっぽい”と感じ取られるのか、いまいちつかめていないところもあります。和声感もあると思いますが、やっぱり多くの人が聴くのは歌、つまり旋律という“記憶”じゃないですか。その歌のメロディが、ルートに対してどの位置に書かれているのか、という部分が影響しているのかなと。おっしゃったような循環コード進行で作られている曲はたくさんありますよね。ただ、ルートに対するメロディの位置や動きによってはジャジーに聴こえず、“最近よくあるJポップ”という印象に収まったりする。あからさまなアプローチがなくとも、歌メロのノートそのものが“ジャズい気分”を担保するんじゃなかろうか、と。例えば『無罪モラトリアム』(1999年)も『勝訴ストリップ』(2000年)も、曲の触感/質感としてはラウドなものになっているものの、あくまで表面をそうデコレーションしているだけで、和声と旋律という骨格により、自分のルーツは隠しきれていないんじゃないかと思います。

——確かに、椎名さんの曲を聴いてみると、コードに対して歌メロがテンションの位置で伸びていたりして、そこに個性を感じるんです。意識的にそういう構造にしているのですか?

椎名 当時は特に“ジャズさ”を隠したかったわけですし、やはり単にルーツが影響しているんじゃないでしょうか。子どものころ家で流れていた曲とか。土日はプレイヤーのセッションものがかかっていて、平日は必ずNHK FM『朝のバロック』が朝6時ちょうどにかかり始め、交響曲やピアノ曲、或いはイタリア歌曲などの古典が流れている環境だったんです。私はジャズや南米音楽などが聴ける土日が大人っぽく感ぜられて楽しみでした。

椎名林檎

——ピアノのボイシングなどにおいても、トップ・ノートとルートの位置による響きまで詰めたりしますか?

椎名 こちらでそういう部分まで決め込むことはあまりないですが、たまにこだわりたいポイントがあるんです。“歌がこう問いかけたら、そのときだけはトップでこう答えてほしい”とか、“独白の場面では不安を煽るためボトムをワンノートで突っ切ってほしい”というふうな理由で。演奏家へは端的にノートを指定するだけで、演出は伝えません。リスナーの方が重視されている、もっと大局的な部分があると思っていて、そういう芝居の大詰めのような、大見得切るような場面を“絶対に落としてはいけない”と意識しています。私がポップスを書くなら、ストーリーテリングでないと。

彼らのプレイを届けるという使命

——ジャズと一言で言ってもさまざまなジャンルに分かれますが、椎名さんが好んで聴いてきたアーティストはどのようなものなのですか?

椎名 マイルス・デイヴィス(tp)の大編成などが好きです。ドビュッシー、フォーレ、ラヴェルらのボイシングもジャズいですよね。基本的には映画やミュージカルに付随するアンサンブルが大好きです。もちろんプレイヤーありきのセッションものもよく聴いてきました。

——ライブも見に行かれたりしますか?

椎名 よく行きますよ。マーク・ジュリアナ(ds)へTシャツを差し上げたこともあります。ロイ・ハーグローヴ(tp)は亡くなる直前まで聴きにうかがっていました。子供時代から、どちらかというとサックスよりトランペットが好みで、最近もトランペッターの作品をいろいろと聴いていました。でも、鳥越君や石若君の演奏を聴いているうちに、“なんかもう楽器とか関係ないな”という気持ちにもなって。私にとっては石若君や鳥越君がマイルスであり、ゆくゆく『スケッチ・オブ・スペイン』のような作品を一緒に作ってもらえたら万々歳だな、と。素晴らしいプレイヤーたちと今一緒に演奏させてもらえて、恐ろしいですし、同時に幸せです。そんな方たちのプレイを、音色を、ジャズ・フリークに限らず、もっと幅広いリスナーに届くよう、工夫を凝らして制作すべしという使命を覚えています。

——ジャズという存在を含め、椎名さん、鳥越さん、石若さんが持つ近しい精神性が『放生会』を形作ったのだと得心が行きました。滋味に富んだみなさんのアンサンブルを、今後の作品やライブで感じられるのが楽しみです。

椎名 ありがとうございます。お二人とは『椎名林檎と彼奴等と知る諸行無常』のときに一緒に走り込んだり、キャッチボールをしたり、そういうコミュニーケーションをはかっていたことが良い作用を生んだのかな。これからもぜひ一緒に遊んでいただきたいです。

椎名林檎+鳥越啓介+石若駿

Release

『放生会』
椎名林檎
ユニバーサル・ミュージック:UPCH-29472(初回限定盤)、UPCH-20671(通常盤)

Musician:椎名林檎(vo)、名越由貴夫(g)、鳥越啓介(b)、石若駿(ds, perc)、中嶋イッキュウ(vo)、AI(vo)、のっち(vo)、宇多田ヒカル(vo)、新しい学校のリーダーズ(vo)、Daoko(vo)、もも(vo)、他
Producer:椎名林檎
Engineer:井上雨迩、小森雅仁、サイモン・ローズ、マット・ジョーン
Studio:prime sound studio form、SoundCity 世田谷STU
DIO、Victor Studio、LAB Recorders、音響ハウス、Abbey Road Studio、Bunkamura Studio

 

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