今の楽曲制作はすべてが〝今〟になっている
私が欲しいのはテープにあった〝時間〟なんだ
Extended Electric Guitar(型にはまらない独創的なテクニックによるエレクトリック・ギターの演奏スタイル)の先駆者として、60年近いキャリアを持つ音楽家、フレッド・フリス。これまでにヘンリー・カウ(Henry Cow)、アート・ベアーズ(Art Bears)、マサカー(Massacre)など数々のバンド/ユニットやソロでの活動のほか、映画やダンス作品の音楽制作、大学講師も務め、現在もライブや作品リリースを精力的に行っている。去る1月17日、18日に、東京・南青山BAROOMで約8年ぶりの来日公演が行われた。ここでは、18日の公演前に行ったインタビューを掲載。即興演奏、ギター、奏法から、レコーディングやミキシングといった貴重な話までも伺っている。終始柔らかな雰囲気で答えてくれた希代の音楽家の声に聞き入ってほしい。
ギターは伝統を呼び起こす楽器
──昨夜(1月17日)の公演は、ソロも山本精一さんとのデュオも素晴らしかったです。ご自身ではどのような感想ですか?
フリス 楽しかった。山本さんの作品はボアダムスの頃から知っているし、20年前には大阪で共演したこともある。だから、2つの全く異なる世界を楽しんだよ。それを興味深い方法でまとめることができた。
──ライブの音響を手掛けたZAKさんと、出音について何か話はされましたか?
フリス いや。ZAKとは北海道でこの1週間、一緒に映像の仕事をしたので、我々はよく理解し合っている(茂木綾子の映像作品『rereading forest』の音楽を制作)。話もよくした。とても直感的な関係だったよ。強力な、良い1週間だったんで、彼との会話の必要性を感じなかったんだ。やるべきことをちゃんと分かっている、とても優秀なエンジニアだ。
──終演後に“今日はよくできた”“もっとこうしたほうがよかった”と、自身の演奏を振り返ることはあるのでしょうか?
フリス ない。全体的に見てもっとよくできていればとは常に思うけれど、ステージを下りてからそういうことは考えない。最悪だったら話は別だけどね。そういうときは、“なんということが起こったんだ!”と言うよ。でもそうでなければ、あまり判断せずにそのまま受け入れる傾向にある。中にはスペシャルなコンサートというものがあってね。説明できないすごいことが起きて、それがそのままずっと心に残るんだ。一方で、予想もしなかったところに着地することは必ずある。そして、それこそが最も重要なことなんだ。あらかじめ予想した通りになったとしたら、恐らく興味をそそることをやらなかったんだろう(笑)。
──ソロと複数人で演奏する場合で意識の違いはありますか?
フリス もちろんある。ソロは、自分だけのスペシャルな領域だ。自分だけのチャレンジだし、聴き方が違う。とても集中して内面まで聴き、自分自身のサウンドのディテールにアプローチする。予想外のこと、偶然起こったこと、思った通りに起こらなかったことに対して、どうするかを考える。ほかの人たちと演奏する際はより対話式になるので、こちらは止まって聴くことができる。相手が何をやっているのかを見ることができ、さまざまな形で対応することができるんだ。私は全般的にデュオやトリオでやるのが好きだね。カルテットやクインテットも大丈夫だけど、それ以上だとかなり難しくなる。
──ギターはあなたにとって本当に相棒のような存在なのだと感じました。ギターという楽器の魅力は何だと思いますか?
フリス 誰もがギターを弾こうと思ったことがあるように、ギターにはある種の普遍性がある。ある時期にラップトップに取って代わられたかもしれないがね(笑)。ギターは普遍的なものだが、チューニングやプレイの仕方によって、ありとあらゆる伝統を呼び起こすことができる。琴のような音だと思う日もあれば、バンジョーやマンドリンのような音だと思う日もある。そうすると、全く異なる文化的伝統を認識することになり、その伝統が自分の音楽に入り込む術を見つけられる。自らが引き込んでいくんだ。それを聴いているということは、その楽器の新たな発見によって常に自分を驚かしているということだ。だから私はギターが大好きなんだよ。文化面でとても豊かだからね。あらゆる方向に進み、あらゆる歴史をたどることができる。アラブ文化のウードにまでさかのぼることができるよ。そういう壮大な歴史があるんだ。
──ブラシや皿など、非楽器的なものを演奏に用いるというアイディアはいつ、どのように生まれたのでしょうか?
フリス かなり初期の頃は主にアコースティック・ギターを弾いていた。あるとき、弦をハンマリング・オンすると、2つの音が出ることに気がついたんだ。1つは聴こえてくると予期した音、もう1つは聴こえてくると予期しなかった音。そして私は、その音を大きくしたらどうなるだろうということに興味を持ち、電話のマイクをギターの反対側に取り付けてみたところ、実際のギターの音ではなく、ギターを打ちつける音が増幅されることが分かったんだ。その場合、エレクトリック・ギターのほうがもっと効果的だということに気がついた。ピックアップがあるからね。そこでギターの反対側にもピックアップを取り付けると、音源が2つになって、ギターではない、もう少し違った音になった。それが1970年頃、私が21歳のときだった。それから“あれをこうしたらどうなるだろう?”といったことを考えだすのは時間の問題だった。ワニ口クリップから始めて、次は箸といった具合に、あれやこれやと増えていったんだ。そして私は、“音色の問題”に興味を示すようになった。弓やスティック、鎖などを弦の上に置くと、全く異なる音の言語が生まれるんだ。一度それを始めると、可能性を無限に探究できる。私がギターを乱暴に扱っていると人は言うが、乱暴に扱っているのはギターではなくほかのものなんだ。
ダンス・ミュージックを追及した『Gravity』
──エフェクト・ペダルも多く用意されています。今回のセットにした理由はありますか?
フリス 大体ツアーに出るときは、公演ごとにペダルの順番を変えたり、別のペダルに変えたりする。習慣に陥らないためにね。ずっと興味をそそるものにしておきたいんだよ。例えば今日も、昨日使わなかったペダルを使っている。山本さんとのプレイよりも映像に役立つ。私は現実に即しているから、いろいろなことを試してみたいんだ。ただ結局のところ、ギター・サウンドを変えるベーシックなペダルはいつも同じなんだよ。ボリューム・ペダル、ディストーション……それくらいだね。唯一、ものすごく役立つことが分かった新しいペダルは、ELECTRO-HARMONIX Freezeだ。Freezeの前のモデルはすべての音が、何をやってもフリーズされるから、すごく興味深い音色を生み出すことができるんだ。新世代機(編注:Pico Deep Freezeと思われる)のほうがもっと洗練されてはいるけれど、ピッチが合っていない音を嫌うんだな(笑)。ピッチが合っていないものを通してもうまくいかないんだ。ほかのことはできるけどね。だから、私は両方持っている!(笑)。
──では今のお気に入りはFreezeですか?
フリス お気に入りはないね。どれも違った用途で役に立っているから。
──時折出てくる歌声もとても魅力的です。不思議なメロディですが、何に影響を受けているのでしょうか?
フリス その質問に答えられるかどうか分からないな。興味深い。特にソロ・コンサートでどんどん歌うようになっていったんだ。人々の典型的な反応としては、“あなたが歌えるとは知らなかった! とても気に入った”と言う人もいれば、“良かったよ、あなたが歌いはじめるまではね”と言う人もいる(笑)。だから、意見は分かれるようだね。
──私は前者です。
フリス (笑)。私の声域はとても広くてね。高音から低音まで5オクターブほどあるので、その声域で何ができるかを探究しているんだ。私にとっては比較的新しいことだから、何に影響されたのかは分からないな。自然とこうなったんだ。即興演奏家としての私にとって一番に影響があるのはシンガーのフィル・ミントン(Phil Minton)だから、彼のアイディアが私の声に入り込んでいるんだろう。彼は即興音楽における最も重要なパイオニアの一人だ。2〜3カ月前に、ロンドンで彼と共演したんだ。彼は80代になってもまだ歌っている。私が20代だった頃、彼はとてもパワフルな即興演奏家でね。彼と共演するようになって、私が音楽に生きることを理解するための手助けをしてくれたんだよ。彼はまさに音楽に生きている。
──スティックや指を使ったリズミックな演奏が大好きです。これまでの作品でもマサカーなどの各バンドや、アルバム『Helter Skelter』(1992年)などにおいて、リズムに特徴のあるものがよく見られます。あなたの音楽表現の中でもリズムは重要な要素となっているのでしょうか?
フリス それはどんな音楽表現においてもだ(笑)。即興音楽が始まった頃のコアな即興演奏家は、彼らが音楽言語の制約と見なしたものから逃避したかった。それで、リズムもメロディもハーモニーも使うことを許さなかったんだ。だが、彼らが排除したものは、あらゆる音楽文化にとって普遍的なものだった!(笑)。だから私は常々、即興演奏家としてそういうものを使うことが許されないのは変だなと思っていた。それで、常に使っていたんだ。今は考え方が変わってきて、多くの即興演奏家はそういうものを使うことを恐れていない。良いことだ。
──私には長年の疑問があります。あなたのアルバム『Gravity』(1980年)のように、即興演奏が得意な演奏家の方が作るポップ・ミュージックには、ほかにはないとても不思議な魅力があると感じているのですが、それはなぜだか分かりますか?
フリス あれはポップ・ミュージックかな?
──ポップと言うと変かもしれませんね。
フリス 友達が思いついた便利な言葉があってね。セミポップ・ミュージック!
──(笑)。例えば『Gravity』は、どのような考えを持って制作したのでしょうか?
フリス 最初は、腕の立つ即興演奏家たちがああいったこと(リズムもメロディもハーモニーも使わないこと)をやっていることに疑問を持つことから始まった。私は5歳のときから音楽をやってきて、できる限りいろいろなことを常にやってきた。コンポーザーとしての仕事もしているし、他人の音楽も演奏しているし、パフォーマーとしては即興をしている。さまざまなジャンルを演奏していて、私は何も拒んでいないんだ。『Gravity』は、作っていてとても興味深かった。1978〜1979年のダンス・ミュージックの定義はものすごく限られていたけれども、世界のほかの地域のダンス・ミュージックを考えてみると、全く異なったフィーリングがある。私はそれを追究したいと思ったので、さまざまなダンスの伝統を研究して、それらをごちゃ混ぜにしてまとめたんだ。単調な四つ打ちリズムから逃れるためにね。それが『Gravity』のポイントだったんだ。
肝心なのはスタジオではなく人
──ご自身ではDAWなどを使ったレコーディング環境を用意していますか?
フリス 私はレコーディング・エンジニアたちととても良い関係にあるので、過去20〜30年間における私のプロジェクトのレコーディング作業の大半は、同じ2人のエンジニアと行っている。アメリカではマイルス・ボイセン(Myles Boisen)と作業しているし、ドイツではピーター・ハート(Peter Hardt)と作業している。彼らの名前は、どのアルバムにも載っているよ。私がやっていることのほぼすべてを手掛けているから、私には自宅スタジオが必要ないんだ。せいぜいアイディアを試してみるだけなので、洗練されたシステムは持っていない。主にAPPLE MacBook ProとLogic Proを使ってエディットとミキシングとシーケンシングを行っているが、常にラフ・ミックスだ。そのラフ・ミックスを持ってどこかで作業する。自宅で仕上げることはないんだ。スピーカーは安物だけどかなり大きい。それからALLEN & HEATHの4chミキサー、FOCUSRITEのオーディオ・インターフェースくらいで、ほかには何も要らない。あとは、JackTripがある。これはスタンフォード大学で考案されたソフトウェアで、遠距離で音楽作業を行うために作られた。私が学校で教えていたとき、JackTripで生徒たちと一緒に作業することができたんだ。音楽用に考案されたもので、コンピューター上でリアルタイムに互いの音を聴いて、演奏することができたんだよ。コロナ禍でそうしていたので、これが一番新しいものかな。
──長いキャリアの中で、特に印象に残っているレコーディング機材などはありますか?
フリス 君が想像し得るものすべてを使ったよ。スイスのSunriseというスタジオにあったAMPEXの16trレコーダーが気に入っていた。それでミックスしてREVOXのテープ・レコーダーで2trに収めた。40年も前のことだ。私は、ニューヨークの大手スタジオすべてで作業したし、ロンドンのAbbey Road StudiosやAIR Studiosでも作業した。たくさんの大手スタジオで作業して、どこも素晴らしい機材がそろっていたが、そこでの作業はさして楽しいものではなかった。
──それはなぜですか?
フリス レコーディングに対するアプローチが産業的で、“時は金なり”という感じだったからだ。私にとって肝心なのはスタジオではなく、人なんだ。Sunriseでたくさんのアルバムを一緒に作ったエチエンヌ・コノ(Etienne Conod)は、超クリエイティブで興味をそそるエンジニアだった。彼は機材を持ち込んで、素晴らしい作業をやってのけた。重要なのは、彼が手掛けたということ、そして彼がいかにしてやったかなんだ。オークランドのスタジオで一緒に作業しているマイルスも同じだよ。彼が自分の機材を使ってうまくやっている。ピーターもまた素晴らしいエンジニアだ。肝心なのは機材じゃない。機材に対するクリエイティブなアティチュードなんだ。私はそういうエンジニアと仕事をしている。だから私は、大きなスタジオよりもむしろ小さなスタジオに行くね。そのほうがずっと好きなんだ。
昔のミックスはパフォーマンスだった
──昨年、アルバム『Guitar solos』(1974年)から50年を経て『Fifty』(2024年)をリリースされました。50年前と大きく変わったこと、変わらないことというのはありますか?
フリス もちろん、すべてが変わったよ。我々はこの間で、デジタル・テクノロジーを使うようになった。デジタル・テープとかね。あれはバカげている(笑)。今ではNEW ENGLAND DIGITAL Synclavierでできたすべてのことを、ラップトップでできる。レコーディングをとてもポータブルにし、とても手頃な価格にし、万人向けにしたので、誰もが試してみることができるようになった。素晴らしいことだと思うよ。一方で、消えつつあるスキルもあり、一握りの優秀なプロフェッショナルの手に委ねられている。例えば、“マイクをどこに設置すればいいか”といったことだ。バスーンやハープの音を増幅させる方法を知っているエンジニアを見つけるのが難しくなってきている。若い世代はもはや、そういうことに慣れていないからだ。私はちょっと厳しすぎるのかもしれないし、変わっているのかもしれない。
──現代の技術に求めることはありますか?
フリス 私は新しいテクノロジーが大好きで、使ってもいるし精通している。満足のいく形でデジタル・テクノロジーを使って作業しているが、私が欲しいのは“時間”なんだ。テープには時間があったからだよ。巻き戻す時間、物理的に編集する時間。こういった時間があると脳が休めるんだ。振り返って考えることができるので、プロセスと長く付き合うことができる。あれは良いことだったと思うんだ。ところが今ではすべてが“今”なんで、楽曲に対する作業の仕方が変わってくる。もっとゆっくり作業したければ、意識してコンピューターから離れないといけない。外に出て戻って来るというふうに、時間の管理をしたり、規律を身に着けないといけないんだ。私は、物事に時間をかけるのが好きなんだよ。
──録音物の即興演奏と、ライブの即興演奏は別物という意識はありますか?
フリス そのためには、“即興”の意味をしっかり把握しておかないといけない。我々はみんな即興している。即興は誰もがやっていることだ。一度生まれたら、即興するんだよ。それが、人間がやることなんだ。だが君の言う“ステージで即興する”というのは、パフォーマンスを示唆しているわけだよ。スタジオでのパフォーマンスはそれと同じではないが、もちろん即興は常に行っている。常に新しいことを試して、変えている。異なる聴き方をしたり、違うやり方をしたりしている。だから、レコーディングは完全な即興プロセスなんだ。これまた、デジタル・テクノロジーが変えた部分だよ。
──というと?
フリス 私がマルチトラック・ミキシングを始めた頃は、まだオートメーション化されていなかったから、ミックスはパフォーマンスだったんだ。誰もが座ってフェーダーを動かして、いろいろと変えていた。それを聴いてうまくいくかどうか確かめて、またやってみる。毎回パフォーマンスして試していたんだ。リー・スクラッチ・ペリーはそういうエンジニアで、ライブ中にパフォーマンスを行っていた。あの時代の音楽は、パフォーマンスの特質を備えたミキシングから生まれていた。ところがオートメーション化されるようになると、そういうことはもうやらなくなったんだ。それには良い面もあった。耳にしているものの主観性に苦しまなくて済むようになったんだ。知っての通り、ミキシング中に酒を飲むと周波数がどんどん上がっていって、翌日聴くとひどいことになっている(笑)。だから毎日聴こえ方が違う。そういうものなんだよ。だが、オートメーション化されると、常に同じということが分かるんだ。これは非常に大きな心の変化だよ。主観的な聴き方から大きく離れていくことになる。そしてそれは、我々がより良い耳を持つことを教えてくれたと思う。オートメーションは、別の方法で聴くことを我々に教えてくれたんだ。これは良いことだと思うが、パフォーマンス的要素はもはやない。ボリューム・レベルを書いて、ピークを見つけて、音節のレベルを幾つかあれこれ調整するだけでボーカルの音を良くすることができる。細部までとても行き届いたプロセスで、すべてに対処してくれる。昔とは違うんだ。
最高の映画音楽とは
──2024年公開の映画『フィシスの波紋』をはじめとする映画音楽も手掛け、今日(1月18日)のライブも映像があります。視覚的な情報があると音楽制作も異なりますか?
フリス もちろん!私はダンスやシアターの仕事もしている。どの形態にも需要があるんだが、全般的には映画が私にとって最も興味深い。やれることがほとんどないからだ(笑)。余計な手出しはしないよう規律を身に着けて、やることを減らして、過飽和状態にならないようにそのままの形にしておくことが肝心なんだよ。私が商業映画音楽、ハリウッドの映画音楽を嫌いな理由の一つに、既に分かっていることを伝えているというのがある。何が起こっているのか、我々には分かっているのに、音楽がさらに拍車をかける。つまり、我々が既に知っていることを劇的に表現しているわけだ。最高の映画音楽は、我々が知らないことを伝えてくれるものだよ。“こういうことが起こるんだ”ということをそれとなく示したり、“登場人物はこういうことを言っているけど、実はこう考えているんだ”ということをそれとなく示したりする。音楽でそういうことができるんだ。だから私は、そういう巧妙さを備えた音楽が好きなんだよ。映画の仕事は好きだから、40年間やっている。一番楽しいね。2024年には私が音楽を手掛けたものが4本公開されたんで、私にとって当たり年だった。
──この記事でフリスさんに興味を持った人に、お薦めするアルバムはありますか?
フリス 何ということだ(笑)。『Guitar Solos / Fifty』(2作品を1枚にコンパイルしたアルバム)は聴かないといけない。1stであり最新作でもあるから、両方聴くと50年の間に何が起こったかを教えてくれる。それから、私の歴史の概要を知りたかったら、ヘンリー・カウ『Unrest』(1974年)とアート・ベアーズ『Winter Songs』(1979年)と、『Gravity』を入れねばならないだろう。それから、マサカーのどれでもいい(笑)。あとは、アンサンブル・モデルン(Ensemble Modern)と共演した『Traffic Continues』(2000年)かな。これは私が作曲した作品の一例で、クラシックのミュージシャンが演奏している。これらはほんの幾つかの例に過ぎない。山ほどあるからね。『Pacifica』(1998年)もいいかな。
──今後はどういった活動を?
フリス 既にやっていること以外にビジョンはない。類いまれな人たちと出会って共演して、彼らと共にスキルを磨きたいと思っている。映画音楽も作り続けたいし、私の楽曲を演奏してもらいたい。ミュージシャンが望んでいることのすべてを続けていきたい。ある年齢を過ぎるとそれが可能かどうかわからないから、いまだにやれることがうれしいんだ。
──ぜひまた日本にも来てください。
フリス 私もそう思っているよ。北海道での体験が非常にインスピレーションあふれるものだったからだね。あのコミュニティと出会ったことがとても興味深かったので、また日本に来て、さらにやりたいと思っている。きっと実現するだろう。