【会員限定】DJとしてプロになるには? 〜日本発のテクノDJを代表する田中フミヤが語る“正解のないDJ活動”とは

田中フミヤ

自分が何を目的としてDJをするかで
活動の仕方が変わってくると思う

日本発のテクノDJを代表する存在の一人、田中フミヤ。国内ダンス・ミュージックの黎明(れいめい)期である1990年代より活動し、現在はドイツのベルリンを拠点に各国のギグに出演しながら、自身の作品リリースも継続している。世界中のトップ・アーティストたちと肩を並べて活躍しつつも「DJ活動の仕方に正解はない」と話す田中。その彼の軌跡に学ぶとしよう。

Fumiya Tanaka's Steps

・1990年代にDJとしてメジャー・デビュー

・レーベルとパーティのオーガナイズ

・自分の作品を作るためにベルリンへ移住

・アナログなやり方でも交流を広げる

自作を持つことがDJの価値になる

 田中フミヤは比類なきテクノDJとして活動しながら、op.discやSundanceといったレーベルを主宰してきた。また、彼の『CHAOS』は名物ロングラン・パーティとして、日本のダンス・ミュージック・フリークで知らない人はいないほどだ。

 長年にわたり自身のダンス・ミュージックを追い求める田中は現在、その音楽の中心地であるベルリンに拠点を置く。独自のスタンスを貫く彼は「自分の経験談がDJを志す人にとって参考になるかは疑問ですが」と言いながらも、取材に応じてくれた。まず、日本からベルリンへと移り住んだ理由とは?

 「日本に住んで、日本で活動しながらも、世界をベースにしようと試行錯誤をしていました。それはDJとしてやっていくだけではなく、自分の音楽を作って、その音楽とちゃんと向き合いたかったから。日本では、そういう環境がうまく得られなかったんです。物理的な部分でも、内面的な部分でも。ベルリンの友達から移住を誘われていたし、トライしてみようかと。ただ、採算が合ったわけではないです」

 田中はDJとして活動する中で自身の作品制作を重視するようになったという。

 「例えばハウス・ミュージックはアメリカで誕生した音楽だから、極端な話、アメリカのレコードだけでもDJができますよね。アメリカにはハウスのアーティストが無数にいますし、イギリスにも同じようなことが言えます。それじゃあ日本は?って考えたときに、数でも質でも圧倒的にかなわない。だから、みんなにもっと作品を作ってほしいと思います。自分の作品を持つことが、DJの価値そのものになるとも考えているので」

 田中は2008年ごろから日本とベルリンの二拠点生活を始め、2年後には完全に移住。その後は、『CHAOS』に幾度も招聘(しょうへい)している盟友Zipが運営するミニマル・ハウスの名門Perlonからも作品を発表し、各国のフェスティバルでDJプレイを披露してきた。

 「例えば、クラブに遊びにいっているうちに知り合いができますよね。すごくアナログなことですが、そういうやり方で交流を広げていくのも一つですよね。今となってはソーシャル・ネットワークなどを使って容易に不特定多数とつながることができますが、結局は自分がDJや音楽とどう関わっていくかということと活動のやり方がつながっているだけです」

Art Basel

2022年にアメリカのマイアミで開催されたアート・ショウ『Art Basel』での1コマ

西洋社会のルールを理解するのが大事

 田中が拠点をベルリンに移して見えてきた日本とヨーロッパにおけるダンス・ミュージックの捉え方の違い。海外での活動を志すDJにとって、理解しておくべき重要な点だろう。

 「ベルリンに住んで体験してきたDJやクラブ、アートには、日本で活動していたころからは想像もつかない世界があります。ダンス・ミュージックひとつを取ってみても、日本人の接し方とは“ルール”が違う。それ自体が西洋社会なんです。そして欧米ではダンス・ミュージックがアートの一部として見られている。だから、アーティストの扱われ方も違えばパーティの規模も違うし、経済的な規模も違います。それは、こちらに来て活動して、体感として分かることです。もし世界で活動したいのであれば、そこを理解しておくことが大事なのではないかと思います。例えば、日本で思うようにギャラがもらえないとして“金額が不満だから、もっと上げてほしい”とプロモーター(イベント・オーガナイザー)に言うとします。これは要するに、自分で自分の値段を決めているということです。日本だとまかり通るのかもしれませんが、そういうルールは西洋社会にはありません。ギャラひとつに関しても、客観的な評価で決められていくものなんです」

マンチェスター

2022年にイギリスのマンチェスターでプレイしたときの光景(Photo by Hannah Barnes)

マンチェスター、DJブース

マンチェスターでのイベントの模様をDJブースから見たところ。多くのオーディエンスを沸かして

 ヨーロッパのダンス・ミュージックの市場は大きく、そこで価値が上がればギャラも上がる。現代アートの世界で急激に価値が上がるアーティストがいるように、可能性は計り知れない。そういうシーンでの日本人の捉えられ方について、田中はこう言及する。

 「欧米のルールに則った世界なので、私たち日本人はどこまでいっても辺境の人です。こうした見られ方というものが働いている中で、どうやって活動していくのか?っていうことですよね」

Houghton Festival

2024年にイングランドの『Houghton Festival』でプレイしたときの様子。やはりオーディエンスの熱気が伝わる

組織に過度に期待すべきではない

 インターナショナルDJのご多分に漏れず、田中も各国での出演に関してはエージェントを通している。だがベルリンに移り住んでからも、しばらくは自らギグを決めてクラブやプロモーターとやり取りをしていたという。

 「幾つかのエージェントから“一緒に仕事をしないか?”と誘いをもらってから3~4年くらいは話を進めずに、自分1人でやっていました。フライトから宿泊、そしてギャラまで、自分の面倒を自分で見ていたんです。でもギグが増えるにつれて交渉の数も増えますし、楽曲制作の時間も取らなければならないから、誰かに任せないと回らないっていう状態になってしまって。それでエージェントと契約することにしたんです。彼らがやってくれるのは、いわば業務的な作業です。あとは自分のやりたいプロジェクトを手伝ってくれたりとか、活動の手助けという部分。もちろん、エージェントに入って仕事が劇的に増えるというケースは、特殊なパターンとしてはあります。でもエージェントが何か特別な施しをしてくれるとか、組織に入ったから自分の活動が保証されるとか、そういう幻想を抱くのは危険だと思います。結局、最後はアーティストの力量と才能、その人が持っているちょっとした運がすべてだと思います。一人でできるうちは、できるだけ一人でやったほうがいいです」

 運という意味では、田中は早い時期からそれを持っていた。活動初期の1990年代は日本でサブカルチャーが活発で、世界的に見てもダンス・ミュージックが盛んだった時期。その頃に国内のレコード会社からメジャー・デビューを果たせたのは、DJとしての大きなターニング・ポイントだっただろう。

 「1990年代は、うまくいきすぎただけです。今さらその時代を振り返って、それとの比較で今どうしたらいいかって考えることにあまり意味があると思えません。それよりは今ここで新しく考えたり、試したりするアイディアのほうが大事だと思います。もし今、日本の若いDJたちがどう動いていいのか分からないでいるとしたら当たり前で、DJの活動方法に正解なんてなくて、正解はそれぞれが見つければいいのです。そのDJが何を目的としているのか、やっぱりそこが一番大切なところだと思います。お金をたくさん稼ぐDJになるんだっていう目的設定なら、そのために進めばいいでしょうし、自分の活動を欧米にも広げていきたいという目的があれば、それに沿った動き方になっていくと思います」

 生業として活動している人から趣味として楽しみたい人まで、さまざまなDJが混在するダンス・ミュージックのシーン。だからこそ、1つの決まった答えはない。

 「あと、昨今はいろいろな表現の手段や発信の仕方があります。DJプレイについても、僕個人はバイナルに特化してやっていますが、良いDJをやるためならフォーマットを問わず、使えるものは何でも使うのがよいのではないかと思います。例えば、インターネットを使えば誰でも世の中に発信できますよね、自分がこれだって思うものがあれば、まずは発信してチャレンジしてみればいいのではないでしょうか。作品リリースの場に関しても、デジタルでさまざまなプラットフォームがあるわけですし。それで思うような反応が得られなければ、また考えればいい。何かしら反応があったら、できるところでやれることをやればいいと思います。ただし、結局のところ大事になってくるのは“実態があるかどうか”です。取っ掛かりがあっても、実態がないと活動が続きません。その辺りは、自分の目的がどういうもので、自分はなぜDJをやっているのか、なぜ音楽に関わっているのという哲学的なことに帰着するのだと思います」

Sónar

2024年のバルセロナ『Sónar』に出演した際の一枚

Essential Works

One More Thing  (First Part)

One More Thing   (Second Part)』

『One More Thing  (First Part)』

Fumiya Tanaka

『One More Thing   (Second Part)』
Fumiya Tanaka

主宰するSundanceからのリリースで、「2作で1つの作品」という2022年作。ファットな低域とカラフルなシンセ使いに『RIGHT MOMENT』と共通する聴きやすさが感じられる。バイナル以外でのリリース形態にも期待だ

RIGHT MOMENT

『RIGHT MOMENT』
Fumiya Tanaka

ドイツの名門レーベルPerlonからリリースされた8曲入りのアルバム。どの曲も、低重心な4つ打ちに多彩な音色のシンセ・フレーズが乗り、ディープ・ハウス的でさえある。フロアはもちろんリスニングでも楽しめそう

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