【会員限定】カクバリズム期待の新人バンド “シャッポ” の1stアルバム『a one & a two』〜2000年生まれが鳴らす40’sサウンドとは

シャッポ

マジックを、マジックだと思わずにやる
失敗した録音のほうが
逆に面白かったりするんです

1stアルバム『a one & a two』を4月にリリースした、カクバリズム期待の新人バンド、シャッポがサンレコ初登場! メンバーは、2000年生まれながら1940年代の音楽をこよなく愛する福原音(写真左)と、同じく2000年生まれで、細野晴臣を祖父に持ちCHO CO PA CO CHO CO QUIN QUINのメンバーとしても活動する細野悠太(同右)。結成の経緯や、影響を受けた存在、制作方法などについて、ざっくばらんに話してもらった。2人の仲の良さを表すように、終始気さくに答えてくれたその雰囲気も併せて伝われば幸いだ。

キャッチコピーは“羊羹ミュージック”

──サンレコ初登場ということで、まずは結成のきっかけから伺えますか? 

細野 2019年の春に、音君が祖父(細野晴臣)の事務所に突撃してきたんです。ブギウギの話がしたいって。母親が対応して、祖父もたまたま事務所にいたので“面白い子が来てるよ”みたいな感じで。だから、僕より先に祖父が会っているんです。 

福原 僕は1940年代の音楽が好きで、細野さんは、はっぴいえんどくらいしか聴いたことがなかったんですが、近年ブギウギをカバーしているのを見て、“何でこの人はブギウギをやれているんだ?”という純粋な好奇心だけで行ってしまって(笑)。普通は中に入れてくれないと思うんですけど、ジョニー・マーサーとかドン・レイとか、細野さんくらいしか知らないような人名を呟いていたら、悠太君のお母さんが“あれ?父と同じこと言ってる”と拾ってくれました。そこから細野家にお世話になるようになるうちに、“孫がいて、同じくらいの年齢だから、仲良くしてあげて”という感じで悠太君と知り合いました。 

──2人とも2000年生まれというのも良い偶然ですね(学年は細野が1つ上)。いきなりの突撃で不審な印象はなかったですか? 

細野 さすがにありましたよ(笑)。 

福原 悠太君のお母さんも本来そういう人じゃないもんね? 警戒するタイプだから。細野さんなんて、特に一線引いているはずなのに……。今はいろいろ事情が分かっているので、何で僕は入れたんだろう?って(笑)。 

細野 音君は本当に知識量がすごい。ここまで知っている人はいないだろうし、それを面白がったっていうのはあると思います。 

──楽器の演奏はいつごろから? 

細野 僕は高校からで、音君はもっと昔からだよね? 

福原 10歳くらいからギターを弾いていました。DAWはそんなに触っていなかったんですけど、吹奏楽部の録音とかは買って出てやっていました。 

細野 それもすごい話だよね(笑)。 

──ラップトップやオーディオ・インターフェースを持ち込んで録っていたのですか? 

福原 そうですね。1940年代の音楽を吹奏楽部と一緒にやろうとしていた時期があって、ウッド・ベースの録り方を昔のレコーディングの写真を見ながらやったりしていました。高校生のときは自分が演奏するよりも、人の演奏を録ることのほうに興味がありましたね。

──悠太さんは高校からベースを? 

細野 高校のときにジャズ研に入って、既にギターとピアノとドラムがいて、なし崩し的にベースに(笑)。祖父がベースをやっていたのは知っていたので、祖父がやってるなら僕もできるだろうっていうのはちょっとありました。 

──一緒にやるにあたって、どういうバンドにするというのは何か話をしていましたか? 

福原 まず僕がキャッチコピーのようなものを作ったんです。細野さんがYMOを始めたときに、“イエロー・マジックというコンセプトがあって……”と書いて見せたというのを知っていたので、それに倣って“羊羹ミュージック”だと。一見黒くて危ない感じだけど、暗い日本的な美もある。実際に食べてみるととても甘くて楽しさしかない……といったことを話していました。あとは、グルーヴの練習に重きを置いていて。ライブはやらずに、スタジオで研究して自分たちなりに習得しようとしていました。 

──よく集まっていたのですか? 

福原 週3で、今もサポートでたたいているドラムの海老原(颯)君と3人で集まっていました。同時に学生映画の劇伴をやったり、オリジナルはちまちま録音もしていて。デモ・テープを誰かに送ることもせずに、ただ作っていました。基本的に細野さんや、身内にしかほぼ聴かせていなかったです。クオリティに自信がなかったというか、理想が高すぎて。録音もマイキング1つで相当悩んでいたし、その割に1940年代の音像を目指していたから、割と無茶なことをやっていたんで、自分の中でまだ達成できてないという考えが強かったのかもしれないです。 

──録音はどんな機材で、どのように行っていたのでしょうか?

福原 高価な機材は買えないので、いかにマイキングの位置を工夫するかに取り組んでいました。例えばドラムなら、昔のジャズの録音みたいにタムの上に1本だけ立ててできないかと試したり、EQの必要がないマイクの位置を探ったり。マイクは高校のころから使っていたAKGのドラム・マイク用セットのDrumset Session I、リボン・マイクのMXL  R144などで、オーディオ・インターフェースはFOCUSRITEの8ch仕様のものを借りて使っていました。リズム隊は一発録りで、アンビエンス・マイクでリバーブを作って、プラグインを使わないことにこだわっていました。今はめちゃくちゃ使いますけどね(笑)。

──その時期を経て、2023年にシングル「ふきだし」をリリースしたころには、これならいけそうという手応えが出てきた? 

福原 全然そういう感じではなく。たまたま細野さんのラジオ収録に来ていた角張(渉)さんに見つかったことや、僕が大学を卒業したのと、スタジオは基本的に細野さんのスタジオ(Daisy Bell Studio)を使っていたから、“これ、何にもならなかったら言い訳がきかないよな……”みたいな感じも2人の中でありました。それでカクバリズムからお話をもらったので、いっちょやってみるかと。そのタイミングで、メンバーが3人から2人になって。 

──海老原さんが抜けた?

福原 そうです。サポートになって、がっつりとは一緒に制作しなくなりました。“何かに似ていたらやめる”っていうオリジナルの作り方をしていたので、とても時間がかかっていたんです。ストイックさもあったし、ドラムという楽器の性格上、一番大変だったろうなって。今はプレイヤーとして逆に頼みやすくなりました。あと、そのタイミングで一発録りにこだわらなくなりました。「ふきだし」は、昔からあった曲じゃなく、2人体制になってできた曲で、偶然生まれたアイディアをとりあえず全部やってみるというふうに作って、それが今までよりもやりやすかったんです。 

1940年代の音にはできない

──作曲クレジットはほぼ福原さんですね。

福原 APPLE Logic Proを使ってはいるんですけど、MTR的な使い方しかしていなくて。打ち込みも僕はほぼやらないので、デモを作らず口伝えで、“リズムはこう”みたいに言って、その上でギターを弾きはじめて、何となく形を見せるというスタイルが多いです。 

──それを2人でアレンジしていく? 

福原 そうですね。 

細野 今作はギター、ベース、ドラムのベーシックはほぼ一発録りの曲が多いけど、ダビングや編集の作業がすごく長かったです。一聴した印象よりも、ポスプロにものすごく時間がかかっています。

福原 録音上のギミックが好きで、それは録りの段階から作っています。 

──ベーシックのレコーディングはどこで? 

福原 Studio Sound DALIで、2日で7曲くらい録りました。先行シングルの「ふきだし」と「そのあと」はPOTATO STUDIOで全部録っています。2人とも極端な音像が好きなので、ダビングで趣味が出るのは面白い個性だと思うんですけど、“多少の聴きやすさは必要なのでは?”という話をエンジニアの中村(督)さんともしていて。あえて大きなスタジオを使ってみようとDALIでレコーディングしました。中村さんは角張さんに「ふきだし」のときに紹介してもらって、そこからずっとPOTATOに通うようになりました。 

Studio Sound DALI

Studio Sound DALIでのベーシック録音。写真左が細野悠太、右が海老原颯。写真左にはアンビエンス・マイクとしてNEUMANN U 87が2本立てられている(*)

POTATO STUDIO

POTATO STUDIOは、アーティスト・コレクティブのGROUNDRIDDIMが構えるスペース内にあり、レコーディング・エンジニアの中村督が作業拠点としている。上の写真はコントロール・ルームで、オーディオI/OはPRISM SOUND Dream ADA-8XR、モニター・スピーカーはTANN OY Ellipse 8とサブウーファーのRCF Ayra 10 Subを使用。今作のミックスは2人が立ち会いのもと、こちらで行われた

POTATO STUDIO

POTATO STUDIOのレコーディング・ブース。シングルでリリースされた「ふきだし」と「そのあと」のベーシック録音が行われており、特に「そのあと」では弦楽器のマンドーラなどを使ったダビングもこちらで実施されている

──今作のレコーディングとミックスのエンジニアも中村さんですよね。中村さんとはほかにどのようなやり取りをしましたか?

福原 マイキングは中村さんと話しながら進めました。でも中村さんが録音に立ち会っているのは、基本的にベーシックだけです。主メロのスライド・ギターとかダビング系のものは全部2人で録っているから、ミックスのときに、何でこういう音になっているのか、どうしてここのパートにマイクが3本あるのかなどを中村さんに説明しなきゃいけなかったので、POTATOで直接話しながら作業しました。曲によってまちまちですが、低音やパン振りはかなり細かく調整していて、曲の中でもドラムの音像を変えたりしています。 

──確かに今作は、パンニングなどのステレオをふんだんに生かした面白い音像だと感じます。ただ1940年代の音楽となるとモノラルだと思いますが、もうそこに近づけようという考えはなかったのでしょうか? 

福原 細野さんともよく話したんですけど、結局できないんですよね。僕が、“細野さん、これ、できてますよね?”って言っても、本人的にはできていない。その気持ちはすごく分かるんですよ。僕も1940年代の音楽とか、自分が好きなものにこだわればこだわるほど、できないところにどんどん目が行ってしまう。だったら思いついたものを全部試して、それを精査していくほうが、シャッポとして面白いなと感じたんです。細野さんも、70代になってから自分の本当に好きな音楽をやれるようになったと言っていたし、あまりこだわらずに、むしろ自分たちで面白いと思ったことを優先するようにしました。 

テイ・トウワから学んだアルバム作り

──3月リリースのテイ・トウワさんのニュー・アルバム『AH!!』への参加や、「"a two"」にはテイさん提供の雨音が入っているなど、テイさんとも関わりが深いですね。

福原 アルバム作りにおいてテイさんの影響は強かったと思います。『AH!!』にはシャッポで「WELCOME RAIN」、僕個人で「THE PROPHET」の2曲で参加しましたが、それ以外に制作途中の曲もいろいろと聴かせてくれたんです。段々と出来上がっていく過程も見ていく中で、アルバムってこうやって作るんだなと知ることができました。細野さんは教えてくれないので(笑)。“どうやってやったんですか?”って聞いても、“覚えてないんだよ。忘れちゃった”って(笑)。 

──テイさんの印象はいかがでしたか? 

福原 スタジオで一緒にディレクションしていて、“偶然起きることが録音の面白さ”ということを体現している人だと感じました。“何かが起きる状況を作ることが、面白い音楽作りの基本”なんだなと。テイさんは“チャンオペ”って言ってて、チャンス・オペレーションの本来の意味とは違うと思うんですけど(笑)。そしてそれらを、最終的にちゃんと形に整えるのがすごい。それからは僕も、友達をたくさん連れてきてコーラスを突然やってもらったりとか、何か変なことが起きてもおかしくない状況を作って……それは2人で作業するときもそうだよね?

細野 うん。 

福原 僕が好きな1940年代の音楽も、失敗した録音が逆に面白かったりするんですよ。そういうマジックを、意図するわけではなく、状況だけ作って、マジックをマジックだと思わずにやる。“チャンオペ”の影響は大きいです。 

──その「"a two"」と冒頭の「"a one"」は、キーは異なりますが同じフレーズで、「スタンダード」にも入っていますね。 

福原 映画音楽も好きで、アルバムっていうより、サントラみたいにしようという考えもありました。このフレーズは結構前から僕がよく弾いて、悠太君が気に入ってて。 

細野 そうね。良いフレーズだったから、“コンセプト・アルバムみたいにできたらいいな”とは制作前から言ってて。それでテーマ・メロディがあればと思っていたので、結果的にあのフレーズが採用されたのは僕としてもうれしかったですね。 

──それでアルバムが開幕した後、2曲目の「めし」が朗読入りの曲で驚きました。 

細野 いろんな人に言われます(笑)。 

福原 “攻めたね”って。でも、全然攻めているつもりはなかったです。 

細野 そうそう(笑)。 

──2人にとっては自然なこと? 

福原 “2曲目は「めし」でしょ”って、2人とも、一致してたよね。

細野 だから、初めて“攻めてる”って言われたときに、あ、そう思うんだって。 

──「めし」はインストでも成立しそうな印象ですが、朗読を入れたのはなぜでしょうか?

福原 僕はこの曲をアルバムに入れるつもりがなくて。悠太君に言われて渋々録音して。 

細野 そうだっけ(笑)? 

福原 19歳のときに、結成して最初にできた曲なんです。1stだから入れるっていうのはありだけど、もともとのバージョンを僕はあまり気に入ってなかった。でも悠太君は“軽快な曲だし、入れたほうがいいんじゃない?”と。インストとして成立していないと思ってもいたけど、“まあ、何とかなるっしょ”って。それでDALIでベーシックを録って、ダビングをどうしようってタイミングで悠太君には何か考えがあるのかなとか思っていたら、別に考えはなかった(笑)。とりあえずやってみようと、弦楽器を重ねたりしてダビングするうちに、ちょっと曲っぽく、まだ朗読が入っていない状態にはなりました。そのあと、何でこうなったんだっけ? 

細野 何か足りないと思っていたときに、友達がフラッと来て、“これに料理の音を入れたら良いんじゃない?”って。「めし」っていう仮タイトルだったし。 

福原 柚木(麻子)さんのテキストにも関係するんですけど、成瀬巳喜男の映画『めし』が好きで、『めし』を流しながら作ったんですよね。シーンをずっとループして、そこに映画音楽を付けるようにして作った曲なんで、タイトルも「めし」にしています。その流れで、制作終盤になってフィールド・レコーディングをいっぱい入れようとなったときに、友達の“チャーハンを作る音とか入れたら?”みたいな話から、楽器以外の音を足すのが始まりました。 

──そこからどうして朗読を入れようと? 

福原 伊丹十三の『みんなでカンツォーネを聴きながらスパゲッティを食べよう』というCDとか、1950~60年代のケン・ノーディン、トム・ウェイツも影響を受けた“ワード・ジャズ”という、ジャズの演奏に語りがずっと入っているアルバムがあって。その辺をたまたま聴いていて、“朗読、どうかな?”と提案しました。 

“へっぽこ”を常々意識して

──「そのあと」は、L/R両方に別のドラムがあるように聴こえるなど、全体的に不思議なサウンドという印象です。 

福原 もともとのアイディアは、確かスウェーデンのジャズの録音にブラシのギリギリにマイキングするという方法があって、ほぼホワイト・ノイズみたいな音になるけど、そのほうがブラシのニュアンスが伝わるんじゃないかと。中村さんに頼んで、スネアのすぐ上にマイクをステレオで立ててもらいました。加えてツイン・ドラムにもなっていて、ドラムをただ分けるんじゃなく、メインのセットとフィルの金物とタム系のセットに分けています。ブラシの音が好きというところから始まったものですけど、結局ノイズのような音にはならなくて、さらにレコードのノイズを足しました。

──レコードのノイズはサンプル素材? 

福原 そうです。サンプルを、悠太君が曲のリズムに合わせて編集してくれました。ただ最初はリズムに合いすぎて編集感が出すぎていたから、最終的にはわざと少しズラすようにしたと思います。今回のレコーディングはクリックをほとんど使っていないので、前半と後半で編集を分けてくれたりもしています。 

──悠太さんは数曲でプログラミングとしてもクレジットされています。DAWは何を使っているのでしょうか? 

細野 普段はABLETON Liveを使っています。今回も時々Liveを使っているんですけど、音君がLogic Proなので、Logic Proで作業することも多かったと思います。

──「"a two"」や「Love’s Old Sweet Song」のシンセやリズムボックス的な音色もDAWのみによるものですか? 

細野 そうですね。「Love’s Old Sweet Song」に関しては、完全にLiveの付属音源だけで作りました。LiveのエディションはSuiteで、細かなところまで調節できるので作業しやすいです。 

福原 悠太君に“『2001年宇宙の旅』のHAL 9000みたいにして”と頼んで、音色についてはちまちま言いましたけど、具体的にどの機材の音というのはなるべく言わないし、言えないので、イメージだけ伝えて、それで完璧に作ってくれました。だから僕は、クレジットを“Kuchi-Dashi”にしています(笑)。

──普段からDAWで曲やビートを作っているのでしょうか? 

細野 本当にアイディアだけという感じです。4小節のループだけ作っておくみたいな。それこそ「ATOH」は、Liveで作った4小節のベース・ループが元になっています。 

──DAWならではの要素もかなり取り入れているのですね。 

細野 作業をスムーズにするために、局所でDAWを使っているみたいな感じです。 

──ほかに変わった録音や編集をした曲はありますか? 

福原 「コンボ!!!!!!!!!!」のフルートは、Daisy Bellの階段のところで録ったり、いろいろ大変でした。録ったものは全部採用しています。 

──後半のキメの部分のフルートが、とても効果的でかっこいいです。 

福原 階段で録った音と普通に録った音をミックスして、パン振りもちょっと変にしていて。ほぼすべてのフレーズでフルートが4つ重なっていて、その4つのバランスで高音などの音色調整をしました。ギター・アンプを自分たちでダビングするときに3本マイクを立てて混ぜたりしていて、それをフルートに応用した感じでしたが、大変でした(笑)。加工などのギミックもかなり入れています。

Studio Sound DALI

Studio Sound DALIでのギター・レコーディング時のマイキング。ギター・アンプは1950年代製のFENDE R Tweed Champ 5F1で、マイクはAKG C414 XLSとSENNHEISER E 906を立てている(*)

ギター

レコーディングに使用した福原音のギター。ARCHTOP TRIBUTEのフルアコースティック・ギターとFENDER Telecaster(*)

──1曲の中でも飽きさせないような工夫が常にされているのを感じます。 

福原 自分が飽きちゃうというのもあって、そやって飽きさせないようにしているのかもしれないです。次のアルバムも考えていたんですけど、それに僕が飽きちゃった(笑)。もう今は考えが変わってきています。 

細野 そうなんですよ。早すぎて、僕もついていけてない(笑)。 

福原 LCDサウンドシステムのような、スタジアム感のある打ち込みをやりたくて、1stの最後のほうはそういう曲を作りはじめていたんですけど、飽きちゃって(笑)。今回、音像としてもう少しパーソナルな音にしたかったなっていう気持ちがちょっとあって、それを今はやりたい感じですけど……どうですか? 

細野 分かりました(笑)。 

福原 マイキングはすごく好きだから、こだわりすぎてしまって作業が遅くなる。それよりは打ち込みのほうが早いかなとは思ってもいたんですけどね。悠太君は何がやりたい?

細野 飽きたとはいえ、打ち込み自体をやめるわけではないと思うし、僕も細かなギミック作りはずっとやっていきたいです。やりたい音楽というよりかは、やりたい作業の話になっちゃうんですけど。 

福原 企画、監督、編集みたいな役割分担が、僕らはすごく明確なんです。 

──同じ方向を向いていて、やることをお互いで分担できていると。

福原 そうですね。あと、マイキングで思い出したんですけど、僕がどうしてマイクにこだわり出したかというと、2020年に亡くなった音楽家の片岡知子さんから、“空気を通して録るように。そうしたら伝わるから”というメッセージをもらって、それがずっと残っている。だから、マイキングにこだわり続けています。知子さんは“へっぽこ”な音楽が好きで、“へっぽこなものをやってほしい”と言われたのも常々意識しています。そんなに意識しなくてもそうなっちゃうんですけどね(笑)。本当に“へっぽこ”なアルバムになったと思います。

シャッポ

Release

『a one & a two』
シャッポ

カクバリズム

Musician:福原音(g、banjo、mandolin、organ、vo、他)、細野悠太(b、syn、gamelan、prog、vo、他)、海老原颯(ds)、小山田米呂(g)、功刀源(g)、Miya(vo、fl)、高橋一(tp)、安田くるみ(tb)、野村卓史(k)、柚木麻子(text)、岡田崇(mushi-goe)、TOWA TEI(rain at home)、細野晴臣(hito-koe)、他 
Producer:シャッポ 
Engineer:中村督、福原音、細野悠太
Studio:POTATO STUDIO、Sound Studio DALI、Daisy Bell Studio、Kanosawa Studio

 

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