細野晴臣『蝶々-San』のリズムを徹底分析 〜ニューオーリンズと沖縄が融合したグルーヴの秘密

「蝶々-San」のリズムから見る細野晴臣のスウィング感の正体 〜横川理彦のグルーヴ・アカデミー【第9回】

リズムに特徴のある名曲をピックアップし、そのリズム構造をDAWベースで分析/考察する連載「グルーヴ・アカデミー」。横川理彦が膨大な知識と定量的な分析手法に基づいて、説得力あふれる解説を展開。連動音源も含め、曲作りに携わるすべての人のヒントになることを願います。第9回は、2024年に活動55周年を迎えた細野晴臣が、1976年に発表した『泰安洋行』の冒頭を飾る「蝶々-San」を分析します。半世紀を経た今もなお多くのリスナーを引きつけてやまない同曲が放つ、リズムの魅力に迫ります。

『泰安洋行』
細野晴臣
(日本クラウン)

『泰安洋行』と「蝶々-San」の位置付け

 細野晴臣が1970年代に発表したトロピカル3部作=『トロピカル・ダンディー』『泰安洋行』『はらいそ』は、発売から約50年を経た現在、世界的な評価も上がり、ますます重要度を増していると思われます。今回は『泰安洋行』の1曲目「蝶々-San」を取り上げ、そのリズムを分析してみましょう。

 1973年のソロ第1作『HOSONO HOUSE』が当時のシンガー・ソングライター的なアルバムであったのに対し、その後のトロピカル3部作は“南国・楽園志向”で、よりトータルなサウンドを追求していったアルバムです。あえてニューオーリンズや沖縄のポピュラー・ミュージックを“ごった煮”にして新しい音楽世界を作り出していく音楽手腕は、当時の音楽ファンや音楽家をうならせ、現在に至るまで大きな影響力を持っています。

 3部作の2作目にあたる『泰安洋行』については、長谷川博一著『追憶の泰安洋行』(ミュージック・マガジン)という名著があり、ここに成立事情や多くのミュージシャン、関係者の証言が集められ、多くを知ることができます(本稿ではこの本から多数引用しています)。また、アルバムのブックレットには曲ごとの参加ミュージシャンや担当楽器も記されているので、音源を聴き、読み込むことでどのように各曲が成立したのかがよく分かります。

 「蝶々-San」は、ドラムのビートから始まるトップ曲で、このアルバムの豊かな世界への導入となっています。ニューオーリンズ・ビートに沖縄の三線(さんしん)風のフレーズが軽く絡んだところで、強烈なニューオーリンズ・スタイルのピアノがピックアップされ、歌が始まります。“あーハイハイ”という合いの手の女性コーラスは川田琉球舞踏団で、ニューオーリンズと沖縄のポップスを混ぜ合わせる音楽的“チャンプルー”の意図が明確です。とはいえ、コードやメロディがシンプルなので、4曲目の「Roochoo Gumbo」が、メロディが琉球音階で、同じく琉球音階のマリンバ・シーケンスのバランスが大きいことに比べればチャンプルー度が軽いと言えます。

“根っこにあるのは2拍子”

 まず「蝶々-San」のリズムのボトムとなる林立夫のドラムの冒頭部分1小節をループにして分析してみました。テンポは♩=111.1と、ミディアムスローでシャッフル度の高い、いわゆるセカンド・ラインのパターンの1つです。この曲全体のテンポ・マップを作ると、随所でヨレてテンポが上下していますが、曲全体としてのグルーヴ感は安定しているのが素晴らしいです。林立夫のドラムのシャッフル度合いも、時々ずれてはいますが(スネアの跳ね具合、バスドラが次の小節の頭に少しだけ突っ込む、など)目くじらを立てるほどではなく、むしろクリックなしでこれほど安定したスウィング感を生み出していることのほうが驚異的。タイム感においても音色においても、ニューオーリンズの名ドラマーたちと遜色ないものだと思います。冒頭1小節をMIDIでコピーして、リズム・マシンのサウンドでループして鳴らしてみても、その魅力は見事なものです(画面❶Audio❶)。

画面❶ 「蝶々-San」のイントロ冒頭の1小節をコピーしたABLETON Liveプロジェクト画面。上は原曲のオーディオを取り込んだトラックで、下はLiveのDrum Rackライブラリー“707 Core Kit”を使ってドラム・パターンをコピーしたトラック。下からバスドラ、スネア、ハンド・クラップで、赤枠が2拍目裏の絶妙なスウィング感を生み出すバスドラ

画面❶ 「蝶々-San」のイントロ冒頭の1小節をコピーしたABLETON Liveプロジェクト画面。上は原曲のオーディオを取り込んだトラックで、下はLiveのDrum Rackライブラリー“707 Core Kit”を使ってドラム・パターンをコピーしたトラック。下からバスドラ、スネア、ハンド・クラップで、赤枠が2拍目裏の絶妙なスウィング感を生み出すバスドラ
Audio❶

 パート別に見ると、小節頭のバスドラを基準として、2拍目裏のバスドラは8分音符裏と3連符の3つ目の間の絶妙な位置にあり、4分音符を32に分けると19:13の位置にあります。余談ですが、これはYMOで沖縄のグルーヴを分解能24で14:10に分けた数値や、5連符を3:2に分けたスウィング感(Swing値60%)にかなり近い、と指摘しておきましょう。

 次にスネアです。8分音符の裏拍はバスドラとほぼ同じ位置にあり、2・3・4拍の拍頭は少し遅れ気味(タメている)です。また、ゴースト・ノートとヒットする音のダイナミクスの切り替えも美しく、ゴースト・ノートの音量が安定しています。さらに、2拍・4拍・4拍裏のハンド・クラップは、楽曲全編を通じて必ずスネアよりも少し前の位置にあります。このように、ドラムのスウィング感は完全にコントロールされ、曲全体に安定したグルーヴを与えています。『追憶の泰安洋行』での林立夫の発言によれば、<セカンド・ラインはマーチとルンバの組み合わせ。根っこにあるのは2拍子で、その発展形です>とのこと。ベーシック・トラックは一貫して林立夫と、細野晴臣(b)、鈴木茂(g)、佐藤博(p)で録音されたそうですが、「蝶々-San」と「香港Blues」で矢野顕子が演奏するRMI Electra-Pianoも同時に録音されたのかもしれません。

細野の三味線と佐藤博のピアノ

 次に、細野の三味線(テナー・ウクレレに三味線の弦を張ったもの)の2〜3小節のフレーズを見てみましょう。8分音符の裏はほぼ安定して、スネアよりもやや軽めにスウィングしています。全編を通じてだと、あえてヨレることでルーズなスウィング感を強調していることが分かります。これは、鈴木茂のエレキギターや細野自身のベースが、林立夫のドラムと同じタイム感でニューオーリンズ・ビートを強調しているのとは少し別のゾーンの存在になっていて、沖縄とニューオーリンズの中間的なグルーヴを生み出している、と言えます。また、三味線に少し長めのリバーブがかかっているのも、別世界のニュアンスに大きく役立っています(画面❷Audio❷)。

画面❷ 0:05辺りからの、細野が弾く三味線をコピーしたピアノロール画面。裏拍の打点が、ほぼ安定してグリッドから少し後ろにあり、意図的にヨレた演奏をすることでスウィングしているのが分かる

画面❷ 0:05辺りからの、細野が弾く三味線をコピーしたピアノロール画面。裏拍の打点が、ほぼ安定してグリッドから少し後ろにあり、意図的にヨレた演奏をすることでスウィングしているのが分かる
Audio❷

 最後に、イントロ終盤のピアノをピックアップして見てみましょう。佐藤博の見事なニューオーリンズ・ピアノで、タメの効いた3連符から、4拍目ではスネアなどと同じスウィング感に着地しています。当時の細野のアルバム制作において、欠かせない存在だったことがうかがえます(画面❸Audio❸)。また、本曲を聴き込むと、佐藤の生ピアノと矢野顕子のエレクトリック・ピアノの両方を聴き分けることができ、これも大きな楽しみになっています。

画面❸ 0:15辺りからの、佐藤博によるピアノをコピーしたピアノロール画面。4拍目(黄枠)の打点は、ドラムのスネアとも共通したスウィング感になっている

画面❸ 0:15辺りからの、佐藤博によるピアノをコピーしたピアノロール画面。4拍目(黄枠)の打点は、ドラムのスネアとも共通したスウィング感になっている
Audio❸

アナログ録音ならではのグルーヴ感

 『泰安洋行』と、細野晴臣&イエロー・マジック・バンド名義でリリースした次作『はらいそ』(1978年)は、サウンドの変化がよく指摘されます。スタジオが変わり、ミキシング・コンソールも変わったことで、よりクリアで分離の良いサウンドになっています(YAMAHA CS-80などのシンセサイザーの多用もあり)。ただ、『トロピカル・ダンディー』(1975年)や『泰安洋行』における、アナログ録音によって楽器同士の音が溶け合って中音域の塊となっている充実感や、それによるグルーヴ感(ドクター・ジョンの『ガンボ』のような)からはやや遠ざかった、とも言えます。とはいえ、細野のトータル・サウンドのコントロールやグルーヴの演出はやはりとても見事で、『はっぴいえんど』(1970年)から現在のところ最新のオリジナル・アルバム『HOCHONO HOUSE』(2019年)まで、我々を魅了して止みません。


横川理彦

横川理彦
1982年にデビュー後、4-DやP-MODEL、After Dinnerなどに参加。主宰するレーベルCycleからのリリースや即興演奏、演劇やダンスのための音楽制作など幅広く活動する。

関連記事