ROLAND D-50〜 【シンセサイザーのフロンティア〜ヘンテコなシンセたち】Episode 4

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「これはかなわん。もうダメだ」

 発売されたばかりのYAMAHA DX7を買ってきたROLAND開発部門の菊本忠男氏、たった1日でDX7本体のすべてを解析し思わずうめいた。

 先行機種YAMAHA GS1ではMSI(中規模集積回路)をしかも55個もずらずらと並べていたデカい音源回路基板も、DX7ではより集積度の高いLSI(大規模集積回路)しかもたった2個のみ搭載したコンパクトな基板へと進化。おかげでちょっとしたグランド・ピアノ型だったGS1よりずっと小さく軽量コンパクト、そして安く故障も少なく安定稼働、おまけにぐっと高機能高性能な新機種へと変ぼう。それもたった2年で。

「たった2年で?」

 2020年になる辺りから事実上の第三次世界大戦となり、人類にとって十年くらい早過ぎたであろう社会変革をゴリ押し、かつひそかに未来すらをも暗示するむちゃぶりパンデミック。豪華グルーズ客船が言わばウィルスからの奇襲攻撃を受けて以来2週間のうちに1年分の社会変化が来たとするなら、DX7当時の2年間はひょっとして今では1カ月くらいでしかないものであろうか。

 とてもYAMAHAには追い付けない、そう思い知った菊本氏は打ちのめされたという。

革命児FM音源。

風雲児DX。

 眼前に突き付けられし厳然として動かざる現実、それは長い長い4年間の始まりとなった。

DX7一強時代にメーカーたちは何を思う

 近代経営の基本たる知的財産ビジネス、その実践。まさしくYAMAHAはスタンフォード大学からもらったFM音源ライセンスを縦横無尽に駆使していた。このため他のメーカーは軒並みFM音源をあきらめるか、FM音源を使いたければYAMAHAにライセンス料を払うかの二者択一となった。それ以前からFM音源を採用し商売していたイタリアのCRUMAR(クルーマー)や米国DKI(Digital Keyboards Inc.)は販売していたFMシンセを売ることができなくなり倒産。NED(New England Digital)がSynclavier Iを開発したときは、YAMAHAにライセンス料を支払うこととなった。

 

 前述のCRUMARが開発したFMシンセとは、GDSことGeneral Development System。これは汎用コンピューターPDP-11を使うことでFM合成やサイン波加算合成をデジタル演算にて実現したものであり、ウェンディ・カルロスが史上初のCG映画『TRON(トロン)』で使用。さらにCRUMARとともにGDSを共同開発したDKIは、GDSをよりコンパクトにまとめて外部コンピューター無しで稼働するFMシンセSynergy(シナジー。同名のアーティストとは違うのでご注意)を開発。いずれもベル研究所での開発結果がベースになっているのだが、共に廃業。後にウェンディは、米国キーボード・マガジンのインタビュー記事にて「だって私が『スイッチト・オン・バッハ』をレコーディングしたとき既にFM変調を使って音創りしていたのに、YAMAHAが特許を取ったのにはびっくりした。まぁでもこういうことは起きるものなのよねぇ」などと述懐している

 

 KORGはデジタル化に乗り切れずDW-8000の開発が遅れ、途中でスペックを削ったDW-6000を必死のぱっちで仕上げて先に発売。DW-6000を買ったユーザーは9カ月後にDW-8000が発売されてアゴ外れるほど驚愕したあげく、友人たちにバカにされる。だがそのDW-8000も振るわずついにYAMAHAの資本参加を受けて子会社に。SEQUENTIALも押し寄せる低価格日本製品に打ち勝てずエンジニアが大勢E-MUへ転職、YAMAHAが技術提携を持ち掛けてくるにあたり逆に身売りを提案。かくしてSEQUENTIALはYAMAHA子会社KORGの一部門“KORG R&D”なる米国開発拠点となって生きながらえ、後のWaveStationやモデリング技術などを開発した。

 

 さて冒頭に出てきたROLAND。かねてから同社はMC-8、DCO、DCB、MIDIなどと着実にデジタル化を進めるも突然変異の如くDXが出てきたことに衝撃を受け、「ただちにデジタル・シンセを実現し発売せよ!」との檄(げき)が飛ぶ。だがその開発は苦難を極め遅々として進まない。営業的にはJX/Junoシリーズは善戦し、販売数だけを見ればアナログとデジタルとは互角であったが、世間でのプレゼンスでは完敗であり、社内も「こらあかん」の一色であったという。

「ここにシンセの独立を宣言します!」by 分析型合成

 確かにYAMAHAが商品化したFM音源には弱点があった。音創りが難解過ぎて自分で納得のいく音が作れないに等しかったのである。だがその自由過ぎるプリセットやライブラリー音色とぶっちぎりの高性能ぶりに誰もが納得するしかなく、ゆえにアナログには未来が無いとすら言われた。

 

 では音創りしやすいデジタル・シンセとは? とてもYAMAHAには追い付けないと打ちのめされたはずのROLANDの菊本氏が考えに考え抜いて編み出したのが、“分析型合成”であった。作りたい音色を分析して幾つかの要素へと分解し、それら要素をおのおの個別に合成してから最後に組み合せることで作りたい音色を実現するのである

 

 グロッケンの音を分析すれば、

a. マレットによる打撃ノイズ
b. 金属板の不規則振動が生み出す非整数次倍音による複雑な波形
c. 共鳴管から響き渡る残響としての整数次倍音による規則的な波形

などの要素に分解できよう。これら各々を個別に合成、すなわち、

a. 打撃ノイズはPCMサンプルで再現
b. 非整数次倍音はリング・モジュレーションで再現
c. 整数次倍音はデジタルによる減算方式で再現

これらを最後に全部足し合わせれば良い。つまり部分音合成を行うのである。

 

 まるごとサンプリングすれば早い? シンセはリアルな音を作るのではなく理想の音を創る。リアルよりアイディアル。Not real but ideal sound! これが菊本氏の哲学であった。菊本方式の利点は理想の音が創りやすいだけでなく、最後に加算する比率を変えれば簡単にバリエーションを生み出せるため応用が効くことにもあった。言わば“福笑い”の原理。目、鼻、口、眉毛などの要素をどう配置するかによってどんな表情でも再現できるのと同じ。サンプラーは写真、シンセはアニメ。

 

 そもそもなぜシンセなのかと問われれば、ユーザーが自身にとって理想の音、理想のバリエーション、理想の表情、理想の表現を創れるから。そこにシンセの存在意義があるのであり、お仕着せのサンプルをそのまま使うようでは電子楽器エンジニアとしての矜持(きょうじ)にかかわる。写実主義ではなく印象派。実写ではなくアニメ。サンプラーではなくシンセ。自由に音を合成できてこそシンセ。シンセ独立宣言! 近視眼的なディテールばかり追うのではなく、ユーザーが理想の音を探し求めて創ることこそがシンセのアイデンティティであり、そもそも固有の音を持たないがゆえのレゾンデートルであった。

 

 まず先行してこれをアコピ音色に限定し具現化したのがデジピの名機ROLAND RD-1000、その音源モジュールMKS-20、家庭用デジピHP-5500S/5600S、これらの心臓部となったSA音源(Structured Adaptive音源)。アコピ再現に特化すべく音を10の部分音(パーシャル)に分解し福笑い的に再合成することで、ピアニシモからフォルテシモまで表情豊かに変化する新デジタル音源である。その開発現場にて当時の非力なパソコン上で実験的に“ごーん”と鳴らしたその1音を聴いた梯郁太郎氏が「これは新しい工場を建てんならん!」と言って、今の本社工場を建てたという。そしてその新時代サウンド創りを最後に引き受けた若手エンジニアが、誰あろう現ROLAND社長の三木純一氏であったという

 

 そのSA音源は不思議な音源であり、単体で聴くと実はあんましアコピっぽくない。アコピしか知らんピアニストに弾かせると「何これ、ぶよぶよして変!」と糾弾される。確かにアナログ・シンセよりはずっとモノホンっぽいが、リアルさで言うならやはりサンプラーに軍配が上がった。だがサンプラーは高価であっただけでなく、何よりもSA音源ピアノはアンサンブルに混ぜたりすると不思議にもサンプラーなんかよりずっとリアルに聴こえたのである。おまけにサンプラーは解像度が上がれば上がるほど音抜けが悪くなるのに対し、SA音源は分厚いバンド・サウンドでも抜けて聴こえる。ドライブしまくる自己陶酔型ギター野郎がヒャッハーとなって哄笑(こうしょう)とともに爆音の壁で空間を埋め尽くしても、SA音源ピアノは抜けて聴こえる。

 

 かくしてスタティックなサンプルと違い、動的に表情豊かなSA音源ステージ・ピアノRD-1000が誕生。その新しいサウンドと新しい表現力によって、ダイナミクスあふれる伝説の名機として数知れないプロ・ミュージシャンから指名されるに至った。その高い評価はサンプリングではなくシンセサイズこそが楽器であることの証左となった。

 

 写実主義ではなく印象派。だが大本命LA音源の開発は遅々として進まない。巨大なブレッドボードから出てきたサウンドはノイジーなもので、一同ガックリきたという。いつまでたっても新製品が出せずどこまでも果てしなく遅れ続けるデジタル・シンセ開発に、もはや売れるネタが無いという悲鳴も現場からは上がったそうだ。

 

 このときメシのタネにすべくとはいえ、都市伝説的に「アナログでもまだやり残したことがあります!」というコンセプトで投入されたのがROLAND JX-10 "Super JX" であったとも言われる。MIDIキーボード・コントローラーとしても使える幅広い76鍵、JX-8Pを2台分搭載した音源、スプリット/レイヤーはもちろん、スプリット時に真ん中だけオーバーラップさせたり、逆に真ん中だけ空白にして外部の音源モジュールだけを鳴らしたり、レイヤー時には4DCOで重層的に音創りしたり、チェイスという名のMIDIディレイを左右にパンさせたりと、アナログ・シンセでも空間演出というやり残した課題があると示した機種であった。4DCO駆動して創ったエレピの音色は太くて味わい深くてリアルな説得力に満ち、FENCE OF DEFENSEが愛用せしダークなストリングスも何か終末的な世界を暗示して最高、貫禄のボディにチタン・カラーも高級感あったよね

 

 だが同じ1986年の年末、圧倒的物量を誇るYAMAHAはDX7IIを発表。旧DX7の欠点を丁寧につぶすだけでなく新機能マイクロ・チューニングやフラクショナル・レベル・スケーリングなどなどおごり、そしてダメ押しにこちらも旧機種2台分の音源を搭載、もはや最終兵器チェック・メイト。

「世界よ、これがローランドの音だ。」

 しかしROLAND "Super JX"の空間演出機能は、その翌春3月ついに同社からデビューした待望のデジタル・シンセD-50にそのまま受け継がれることになった。ちょっちヘンテコに思えたデザインもなんのその、なだれを打ってD-50は売れまくり、野火のように広がるLA音源サウンドで地球は塗りつぶされ、ヒット・チャートはD-50の音でぱんっぱんに充満、あまりにも斬新過ぎるプリセット音色の数々に「ふぇ、Farlightの音がする~!」と今は亡きフォーライフ梅田店にて展示品を弾いたnemosynthさん2週間前にKORGの中堅FMシンセが届いて喜んでいたばっかなのに負け犬決定に打ちのめされてしゃがみ込み、そのKORGのエンドースを受けていたキース・エマーソンはソロ作品『ザ・クリスマス・アルバム』でD-50とサード・パーティ音色ライブラリー「Voice Crystal」とを組み合せて弾き倒し、そのままキースはロゴを隠したD-50とともに「Voice Crystal」の宣伝写真にちゃっかり収まり、デュラン・デュランが来日したときニック・ローズのステージ・セットの中にあったD-50を小室哲哉が表敬訪問がてらちゃっかり試奏し、かくしてD-50は圧倒的劣勢から単騎ですべてをひっくり返した名機として、その後も長く語り継がれることになる。

 

 D-50の音源部分はFM音源のように予測しがたい非線形(ノンリニア)演算で音創りするのではなく、加算や減算など見通しの良い線形(リニア)演算でのみ音を創れるのがポイントであった。ゆえに線形演算音源ことLinear Arithmatic SynthesisつまりLA音源、そして線形シンセことLinear Synthesizerと銘打たれた。SA音源では10あったパーシャルもLA音源では使いやすく4つにとどめ、デジタル減算方式とPCM音素片とのカップリング、そしてリング変調を挟み込んだ7つのストラクチャーでもって準モジュラー・シンセとなった。そのためパーシャルは“PCMパーシャル”と“シンセ・パーシャル”の2種類に分化。D-50における“PCMパーシャル”はマルチサンプルされていないPCM音素片100種類から1つ選んで鳴らしてアンプEGを通すだけ、“シンセ・パーシャル”はデジタル演算による減算方式での音創り。その“シンセ・パーシャル”を構成する各ブロックは、

◎WG(Wave Generator、いわゆるオシレーター)
◎TVF(Time Variant Filter、-12dB/oct のレゾナント・フィルター)
◎TVA(Time Variant Amplifier)

と名付けられた。

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D-50パネルの図。ピックアップすべき点はたくさんあるが、注目は中段のOUTPUT MODEで、リバーブ(REV)を含めた音創りが提唱されている。マニュアルを見ると残響音に関してのイラストもあり、開発陣による空間的なサウンド・デザインへの関心がうかがえる

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D-50のブロック・ダイアブラム。PCMパーシャルとシンセ・パーシャルに大別され、後者では矩形波にサイン波を乗算することでノコギリ波にしている

 デジタル化するにあたり、デジタル・フィルターなどと言わず“タイム・バリアント・フィルター”というような名前に変えたのは、音色は時間軸上を変化するからこそ音色でありすなわち時間芸術である、という意味から。そして時間軸を念頭に置いたこの思想はずっと後のVariPhraseテクノロジー誕生にまでつながる。これらの点においてROLANDは当時倒産して存在していなかったMOOGの正統な後継者として、自身を強く意識しているところがあった。

 

 それがゆえにLA音源では必ずしも波形メモリー容量をおごらず500KBしかない。しかもそこに収録されたPCM音素片とは、アコピのハンマー・ノイズや尺八のブレス・ノイズといったトランジェント成分、あるいは減算方式で合成しにくい金属倍音など複雑で豊かなハーモニクスを持つスペクトラム波形など、およそリアルとは言いがたい素材に徹したものばかり。

 

 だがそれは高価だったメモリーに依存しないだけでなくそもそも音創りにこだわったがゆえであり、それゆえシンプルにサンプル波形を加工することもせず、最大4パーシャルに加えてリング変調をかましつつ7種類のストラクチャーによって結線を変えるというやや複雑なセミモジュラー構造へと具現化した。すなわちそれはサンプリングというモノマネにとどまらず自由度が高いサウンド・デザインができてこそシンセというクラフツマンシップの表れであり、シンセ・メーカーとしての矜持ゆえであった。その哲学にこそD-50の真骨頂があった。

 

 YAMAHAが打ち立てた金字塔に遅れること実に4年。だがROLANDは全く違った、実にROLANDらしい回答に到達。かくして徹頭徹尾フル・デジタル準モジュラー・シンセD-50爆誕。ターゲットを要素ごとに切り分け個別撃破するという明快な論理。広大なアーキテクチャーでもってアナログとデジタルとサンプラーのすべてを兼ね備える部分音合成シンセ。何よりも緻密な音創りを実現すべく増大の一途をたどるパラメーターを見通しよく並べることで“使えるパラメーター”としたことに、LA音源を産んだ深層意識があった。破竹の勢いで快進撃を遂げた新時代の音はその帰結に過ぎなかった。そしてD-50の宣伝キャッチ・コピーは“世界よ、これがローランドの音だ。”であった。

“創る”から“選ぶ”へ……音色ライブラリー時代の到来

 だが、勝てばそれで良かったのであろうか?

 

 台風の目となったDシリーズの後、ROLANDはLA音源をやめて普通のROMplerシンセを出すようになる。そこで一世風靡したのはライブラリー・ビジネスであった。JV-80以来ローランドは実に11年にわたり同じ音色配列、同じ音源をアップデートしつつも、ずーっと使い回し続けることになる。

 

 JV-80にてオプションとして拡張基板によるエクスパンション・ボード音色ライブラリーに対応。JV-1080では音源部にS-770/JD-990譲りのストラクチャーによるセミモジュラー構造を取り入れ、ラインナップがそろってきたエクスパンション・ボードに同時4枚対応。XV-5080ではステレオ波形4段ベロシティ・スプリットに対応しながらS-700系/AKAI S1000/S3000系のCD-ROMライブラリーも読み込み、WAV/AIFFも読み込み、幾つかのPCM音源波形は新規のものに差し替え、一層の高解像度/高音質化も目指し、ここにJV/XVシリーズは一つの完成形を見た。

 

 しかし仕様がアップデートされていても基本的には同系統の音源をずっと使い回していたわけで、それは取りも直さず人気絶頂だった音色ライブラリーとの互換性をキープするためであった。事実JV-1080、JV-2080、XV-5080はどこのレコスタへ行ってもスタンバイしている、文字通り定番機種となった。このライブラリーへの互換性を絶ってでもすべての音源波形を総入れ替えする英断を下したのは、実はFantom-SとFantom-S88というワークステーション・シンセにおいてである。時に2003年。

 

 かくして理想の音色をユーザーが創れる世界を目指したLA音源は、音色を作らず選ぶ時代が来てしまったことを知る。そしてアイディアルというよりリアルを求めたPCM音源へ、そちらの方がはるかに需要が大きいことを知ったのだった。

DTMが提唱した「誰にも音楽」

 興味深いことにD-50と同時にもう一つのLA音源モデルが大ブレイクしていた。8パート・マルチ音源モジュールMT-32によるDTMパッケージ商品「ミュージくん」そして「ミュージ郎」の隆盛である。当時の非力なMS-DOSマシンを中核とし、横にDTM音源モジュールを置いて発音処理を任せ、後はPC上で走るシーケンス・ソフトでそいつをMIDI駆動する。開発部長が自分で試してみたらかつてなくリアルなオケができたので「これはいけるで!!」と思わず叫んだとかいう、そしてDTPをもじってDTMという言葉が生まれ、ノンリアルタイム・ミュージックという言葉までも生まれた。すなわちDTMとはリアルタイム性しかないと思われた作曲と演奏に、レンダリングのごときノンリアルタイムという新しい突破口を与えることで全く演奏できない人でも演奏できるようになるという、それもマウス 1個でできてしまうという、これも一つの楽器の民主化でありそこが最もユーザーの共感を呼んだ。

 

 かくしてLA音源というカタパルトから飛び出したROLAND「ミュージ郎」は、DTMパッケージの元祖として洪水のように店頭を埋め尽くし、後追いでやってきたKORGの「Audio Gallery」もKAWAIの「Music Palette」も入り込む余地すらなく、YAMAHA「Hello! Music!」がようやく国民的知名度でもってROLANDと人気伯仲、DTM盟主の座をめぐってGS/XG標準競争へと発展。最後には両者共にGM2を推進することで合意、DTM界のベルリンの壁崩壊などと言われるにまで至った。かつて松武秀樹たった一人が孤独かつ忍耐強く続けていたROLAND MC-8に始まるシーケンシングは広く世間一般庶民が会得できる立派なスキルとなり、バブル期には1曲制作2万円、ボツでも1万円もらえるという破格の学生バイトまで出現した。

 

 ついにパソコンが直接に楽器を弾く、自宅で目の前で小さなコンピューターがシンセの小箱を弾く。そんな新時代感覚はさらにLA音源から離陸しシーケンス・ファイル・フォーマットをも変えて“スタンダードMIDIファイルがGM音源を鳴らす”という図式になり、その図式のまま通信カラオケになり、着メロ・ビジネスに至るまで異形の進化を遂げた。すなわち田舎のカラオケ・ボックスで未来のヒロインが拍手喝采の中スポットを浴びてピース・サインで写メに収まり、オキニのケータイで着メロのセンスを競う、LA音源はもはや一つの音源方式/一つのテクノロジーの枠をはみ出してしまい、文字通り電子楽器文化と産業社会の潮流を変える壮大な一つの礎となった。

 

 既にお気づきであろう。ここにあるのは楽曲制作である。音創りはミニマムに押しとどめ、いかに大勢のニーズたる楽曲制作をしやすくするか、顕在市場の期待に応えるか。これがDTMの宿命であった。それがカラオケであれ着メロであれ成果物たる楽曲を広く配信することに違いはない。LA音源はまたしてもサウンド・デザインではなく、完成された楽曲を提供するための言わばプラットフォームの一つとして機能したのであった。そしてそれらコンテンツ配信時代が立ち上がる黎明期において影で市場を支えたのは、さらに前の世代が作った膨大なシーケンス・データ、すなわちパソコン通信ニフティ時代、それこそAMDEK CMU-800やROLAND MKS-7を火を噴くくらい使い倒せし先駆的DTMユーザーたちが若い人々のために量産したシーケンス・データであった。

 

 非力なパソコンの脇に専用音源モジュールを置き、パソコンはシーケンシングに専念しつつ重たい処理は外部音源が引き受けるというDTMの様式美は、日本人の箱庭的美意識にも訴求し独自の興隆を見せる一方、海外では掟破りのDAWにプラグインという次世代型の制作環境へと先に移行することになった。それはそのまま演算能力の飛躍的向上に伴いソフト・シンセやモバイル・アプリ、ウェブ・アプリ、スマホDTMの時代へとつながる。

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 リアルよりも理想の音を追い求めたLA音源は、シンセでもDTMでも一時代を築き上げた後、共に次世代として逆にリアルを選ぶPCM音源へ席を譲った。PCM音源の方が需要が多いのは仕方ないとして、だがなぜそのときにLA音源も残さなかったのか? という菊本氏の音創りへの想いはいったん伏線として潜り、D-50生誕から15年以上もたってV-Synthという形で再浮上することになる。機会があれば、これについていずれどこかであらためて考察できるやも。

 

 キーボーディスト見岳章は、RD-1000とEmulator IIとをMIDIでスタックして使っていた。当時からサンプリングとシンセサイズとを重ねることで、リアルさと表現力とを両立していたのである。ちなみにD-80という上位機種も企画されていた。D-50をそのまんま横に引き伸ばしたような弩級シンセだったらしい

 

 シンセ独立宣言。自由に音を合成できてこそシンセ。相次ぐKORGやSEQUENTIALの命運を横目で見ながらそれでも文字通り自らの生存を賭して必死で討議され続けたであろう LA音源の意義、それが目指したもの。唯一の生き残りとして勝ち取ったビクトリー。そして圧倒的劣勢からたった1機種ですべてをひっくり返しながらも「勝てばそれで良いのか?」と問わずにおれなかったD-50。だがそこにもう一つ、奇跡のようにきらめくデジタル音源方式をひっさげ彗星のごとく登場したメーカーがあった。一時期CASIOと並ぶ新興シンセ勢力として台頭し、CASIO がVZ-8Mを最後にプロな音楽文化から距離を置いて楽器の民主化に専念するようになったあとも、シンセ少女やシンセ坊やたちをワクワクさせた「もう一つのK」。可能なら次回はここにフォーカスを当ててみたい。

 

nemosynth(ネモシンセ)

【Profile】京都市生まれ。幼少期を海外で過ごす。自然科学少年あらため人類学専攻。言葉にならない音で世界を分節化する音色フェチ。その海外にて、スザンヌ・チアーニが弾くBUCHLAをテレビで見たのが、シンセを意識したなれそめ。一時期ハード・シンセ 40 台その3/4がMIDI無し。今はビンテージから最新アプリまで、十数台のハード・シンセと無数のソフトやアプリ・シンセにまみれる。

https://twitter.com/nemosynth