E-MU Emax SE【シンセサイザーのフロンティア〜ヘンテコなシンセたち】Season 2 Episode 2(前編)

E-MU創世神話

これは、内蔵姿勢制御装置のずれを無くし、過剰なジャイロ宇宙的相対理論化を防ぐ機能です。

注意深く画面を観察いただき、重力による空間歪曲や明らかな時間の加速・遅延、鏡に映る物体が実際より近く見えるなどといった不安定化兆候が起きていないか、ご確認ください。数秒後にEmaxがモジュール識別表示へ戻ってきたのであれば、すべては順調です。

注意:安定化スキャン処理が進行している間、時として小さなエミュー鳥がEmax内部に閉じ込められ画面上を走り回ることがあります。これはEmaxの通常機能に影響はありません。
(Emax取扱説明書から超絶nemo版和訳)

 This function aligns Emax’s internal stabilizers and prevents excessive gyrocosmic relativation.

 Carefully observe the display for any signs of destabilization (eg. Gravitational warps, apparent speeding up or slowing down of time, objects in mirrors appearing closer than they really are). If Emax returns to the Module Identifier after a few seconds, all is well.

 Note: Occasionally a small emu will get trapped within Emax and run across the screen during the stabilization scan process. This does not affect Emax’s normal functions.
(原文)

 もうね、原文にある「gyrocosmic relativation」とかってバック・ロジャースのネタだし。「objects in mirrors appearing closer than they really are」って向こうの車のドアミラーに書いた〜る警告文パロってるし。どこにも「自己診断処理」って書いてないから。それが自己診断機能だということは、生産完了後だいぶたってからネットかなんかで知った。だから現役当時とにかくLCDの中をエミュー鳥が走り回るだけなので、こっちは訳が分からず呆然とするばかり。

 この面倒くさそうなふざけたノリの取説を出したのはE-MUことE-MU SYSTEMS。その創業者は、ぶっちぎり天才エンジニアであるデイヴ・ロッサム。デイヴと言っても、名機プロフェットを生み出したSEQUENTIALを創業せしデイヴ・スミスとは別人。

 

 史上初のサンプラーは、FAIRLIGHT CMIなのか初代Emulatorなのか? 今ならエミュレータと呼ばれてしまうのであろうかEmulator。それを生み出したのがデイヴ・ロッサム率いる E-MU SYSTEMS。

 

 今回はそのデイヴ・ロッサムと彼が興したE-MUを見てみたい。彼こそは電子楽器業界における縁の下の力持ち、いや縁の下の馬鹿力、もうアトラスのごとく世界を支えてきた巨人ですらあり、彼なくしてSEQUENTIALもOBERHEIMも電子楽器業界すべてがかくも発展しえなかったであろう偉大な功労者なのである。

 

モジュラーから始まったE-MUの快進撃

E-mu Modular System。Photo:.guilty, CC-BY 2.0

 デイヴ・ロッサム(Dave Rossum)は、アメリカ西海岸サンフランシスコ界隈で育ち、SEQUENTIALより先、1971年にE-MUを創業する。

 

 彼の父親は科学者なのだが、音楽がお嫌い。というのもデイヴ・ロッサムの祖父がミュージシャンで呑んべぇで父が幼いころ祖父は家におらず、それゆえ父は音楽が嫌いに。ところが祖父が家に不在だったのは音楽どーのこーの以前にそもそも浮気しててほかの女との間に3人も子供を作っていたからだと、後年に判明!

 

 父の愛に飢えつつも禁じられた音楽へのあこがれとを両立すべく、幼い坊やは自宅に誰もいないときを見計らって家にあった母のピアノなどを弾いていたのである。

 

 彼には絶対音感があった。

 リズム感も大変良かった。

 

 でも彼は音楽のレッスンも受けず、趣味として適当に弾くだけ。センスあるのに独学なあたり、既に後々ぶっとんだ天才肌っぷりを発揮する、その序曲だったのかもしれない。

 

 それでいて彼は、全く音楽の道なんぞ考えもしない科学少年であった。ただやたらとリーダーシップだけはあったらしく、5、6歳年上の子供たちを引き連れて登山もしたという。しかも子供のときからなんでも作っては売るという、起業家精神すらあった。

 

 何よりも彼を貫いていたのは、まぶしい自由とぶっちぎりの先取の精神がみなぎるカリフォルニアらしいカウンター・カルチャーであった。大人社会に対する異議申し立て、大人たちへの反抗、ベトナム戦争反対、ラブ&ピース、いぇ〜い♬ そんなとんがった空気が充満する西海岸の陽光。不屈の反骨精神こそが、いつまでも若きデイヴ・ロッサムをして数々の発明を実現せしめ音楽に変革を引き起こすドライブ力であったのかもしれない。

 

 彼はカリフォルニア工科大学にて生物学を専攻するも、その動機はなんと当時の原始的なコンピューターを生物学に応用したいという、その時代には誰も考えなかったぶっとんだ新しい発想からであった。だからもちろん彼は大学で生物学とともにコンピューターサイエンスも会得。

 
 
 
 
 
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カール・フォン・リンネ『自然の体系』初版本を手にするデイヴ・ロッサム

 そんなある日、彼はカリフォルニア大学サンタクルーズ校にてMOOGモジュラーシンセをセッティングしてくれと頼まれる。シンセ?なにそれ? それはMOOG System 12。有名なMOOG System 15ですらないその前の黎明期の機種、その現物を目の当たりにした彼は、そしてそれを人が弾いている音を聴いた彼は、永遠に人生を変えることになる啓示のごとき衝撃を受けたのである。

MOOG Model 12の広告より

 そうだ、そうじゃないか、当たり前だよこんなの、当然じゃないか、至極まっとうなことだよ、そうだよ、そうなんだよ!!!とかなんとかそんな感じだったらしく。

 

 シンセというものに運命的邂逅をはたしたデイヴ・ロッサム。突如として無性にシンセを作りたくなったデイヴ・ロッサム!

 

 え、生物学と電子音楽の共通点? ネガティブフィードバックさ!

 

 だがコンピューター・プログラミングは分かるのに、逆に電子工学は分からない。恐らく彼は時代に先駆けてソフトウェアエンジニアだったのであろう。そこで友人にハードウェアを教えてもらうこととなった。時に1970年秋から冬にかけてのことである。

 

 翌1971年春、サンディエゴの高校生たちに音楽を親しんでもらうべくシンセを作ってほしいと頼まれた彼はBlack Mariah(ブラック・マライア)という名のプロトタイプをでっち上げ大学の購買部へ披露、あわよくば雇ってもらえないかともくろむも、出来のひどさにカリフォルニア工科大の学生寮にて窓から外へ投げ捨て廃棄さる!!!

 

 同年夏、めげずに大学を卒業した彼は仲間や3人の大学生と共同生活を開始。その家の表にかかっていた文言とは、

Starships and Synthesizers, since 1984(宇宙船とシンセサイザー 1984 年設立)

……1984 年設立って、このときまだ1971年ちごたっけ?

 

 そこで彼らはARP 2600のエッセンスをパクった(本人談)シンセ、その名もEμ 25(イーミュー25)を制作。その機種名は、もちろん電子工学がお好きならお分かりであろう、電子を意味するelectronの頭文字と、μ(ミュー)すなわち電気の単位でありマイクロの意味も持つギリシャ文字とを組み合せてEμ。

 

 そして実はEμ 25とは、なんのことはない愛用してたドラッグの名前だったのである。

 

 これが、イーミューの名が歴史に登場した最初であった。一発キメられる音色、いいね(!?)。

 

 2台作るも、1台は個人宅で使われ行方不明に。もう1台は1970年代にサンフランシスコのコンセプチュアルアート美術館の展示にての目撃を最後に、行方不明に。ひょっとしてまた窓から投げ捨てられたのであろうか?

 

 そして、その暑い夏が終わると3人の学生たちはカリフォルニア工科大へと帰り、残ったデイヴ・ロッサムは高校時代の旧友スコット・ウェッジと再会。自身のガールフレンドと合わせて3人でEμ SYSTEMSを立ち上げた。Eμ SYSTEMSの名を使うことは、3人の学生たちからも同意を得てあった。そしてEμは性懲りもなく次世代モジュラーシンセEμ Modularの開発に着手する。

 

 しかしのっけからモジュラーの開発に着手したのにはわけがあった。天才デイヴ・ロッサムは、MOOGやARPよりも優れた回路にたどり着いていたのである。揺るぎなきこと山の如く安定せるVCO、実にクリーミィな効き具合が味わい深いVCF、これはほかのどのメーカーにもないEμだけの秘密兵器であった。

 

 そのEμ Modularの完成とともにEμ SYSTEMSは法的にも会社となった。時にEμ創業から1年ほどたった後の1972年11月27日。日本でいえばローランドの創業から半年ちょい後くらい。

 

 当初「Eμ」と表記していたが、1979年になって実はカリフォルニア州法により登記にはローマ字しか許されないことが分かりE-MUと英語表記へ変えた経緯もある。かくしてE-mu Modularは1980年代初頭まで生産され続け、モジュラー界における個性派な名機となった。

 あんまし儲けを考えずただただ楽しいことをやっているだけなのに何故か連戦連勝してしまうE-MU SYSTEMSの快進撃、ここに始まる!

 

OBERHEIMにデジタルスキャニング・キーボードを供給

OBERHEIM 4 Voice。Photp:Robert Brook CC-BY 2.0

 ビンテージ・アナログシンセ時代においてデジタルに強いどころかデジタルの天才デイヴ・ロッサム、E-MUが会社になってから初めて開発したるはデジタルスキャニング・キーボード4050。

 

 これは鍵盤楽器ではなく、それに使われるためのキーボード部品。打鍵状況をデジタル論理回路でスキャンすることで、最大10音ポリの演奏が可能。

 

「だぁってMOOGが低音優先とかARPは違うんだとか皆あーだこーだ言うけどさぁ、つまり皆さんポリフォニックで演奏したいんだろ?」

 

 E-mu Modularを作っていたデイヴ・ロッサムはそう実感し、E-mu Modular用に4050キーボードを開発。これにより彼は後世「ポリシンセの父」と呼ばれることとなった。縁の下の力持ち初号機、見参!

 

 そのデジタルスキャニング・キーボード4050のプロトタイプを開発中だった1974年9月、デイヴ・ロッサムはAESショウにてトム・オーバーハイムと出会う。天才同士たちまちにして親友となりお互いアイディアを披露し合っているうちに、トム・オーバーハイムいわく彼が作ったフェイズシフターに問題があるとのこと。聞けば3080トランスコンダクタンス・アンプを使えば解決できるはずなのだが、実際どうすればいいのか分からんのだと。

 

 それを聞いた天才デイヴ・ロッサム、やにわに傍らにあった紙ナプキンにさらさらっと回路図を描き、

「こうしたら良いよ」

 紙ナプキンに描かれた回路図をじぃっと凝視するトム・オーバーハイム、

「なにこれ、たった今あんたが発明したってぇの?」
「そう」
「この回路、特許取れるんじゃねぇの?」
「絶対に特許取れるね」
「連名で特許取って権利を2人でシェアするってぇの、どう?」
「グレイト・アイディア!」

 

 さらにトム・オーバーハイムはE-MUを訪問、4050キーボードのプロトタイプを目の当たりに。

「これも、特許もんなんじゃねぇの?」

 トム・オーバーハイムはぜひこれを自分の製品に使わせてくれとデイヴ・ロッサムに要望。かくしてOBERHEIMは E-MUからデジタルスキャニング・キーボードを提供してもらい、それを自前のSEM音源モジュールと組み合わせることで2 Voice、4 Voice、8 Voiceといった黎明期のポリシンセ名機たちを実現。それらはクロスオーヴァーを初めとするさまざまなジャンルにて使われ大ヒット作となった。

 

 そしてそのライセンス料をOBERHEIMからもらうことでE-MUはコンスタントに潤うこととなったのである。

 

Prophet-5に搭載されるSSMチップを設計

ZILOG Z80。Photo:Yaca2671, CC-BY-SA 3.0

 1976年7月になるとZILOG(ザイログ)が8ビットCPUの名機Z80をリリース。人気者CPUの登場は電子工学における画期的なメルクマールとなった。

 

 同じころデイヴ・ロッサムはもう一人のエンジニアとともに二人でシンセ用ICを設計。これらはVCO、VCF、VCA、EGなどを個別にチップ化したものでSSMが生産することとなった。銘石となったSSMによるICチップの誕生である。

 

 翌1977年、Z80の恩恵を受けたE-MU新型デジタルスキャニング・キーボード4060を開発。従来よりもさらに多い16音ポリを実現、さらに6,000音のデジタルシーケンサーまで内蔵。

CPU Z80
SSMの音源IC
デジタルスキャニング・キーボード4060

 さぁ役者はそろった。後は指揮者とヒット商品ならではの数をさばける量産設備とを待つだけ。


 そしてその指揮者とは、SEQUENTIALのデイヴことデイヴ・スミス。デイヴ・スミスは、だが当初「こんだけ材料がそろってんだから絶対ボク以外の誰でも思いつくはず」ってんで何もせず。でも半年放置プレイしても誰も何も動かないのを見て、なら自分で、と史上初のプログラマブル・ポリシンセ開発に着手。そしてそれを横で眺めながらあーだこーだアドバイスしていたのが、なんとここにもデイヴ・ロッサムその人だったのである。

 

 デイヴ・ロッサムは全体制御とアナログ回路の設計を、デイヴ・スミスはユーザーインターフェイス設計とエディット機能の開発を担当、半年間突貫工事。デイヴ・ロッサムが開発にかかわったSSMチップとデイヴ・ロッサムが開発した4060型デジタルスキャニング・キーボードとデイヴ・ロッサムからさまざまにあーだこーだアドバイスもらってデイヴ・スミスはProphet-5という機種へとまとめあげた。

 

 材料がそろっていながらデイヴ・ロッサムがリリースしなかったのは、絶対に売れると確信するもそれに見合う大量生産設備を準備できなかったからとも言われる。彼はあくまで影に潜み、影で電子楽器世界を牛耳ってはピースサインする、機動力に富んだ謎のテクノロジカル小僧だったのである。果たして1978年、無名の新参者SEQUENTIALから彗星の如く現れたるProphet-5、世界を震撼せしめたるその武勇伝は、もう読者お歴々の皆さまご存じの通り。

 

 そしてE-MUには尚一層どんどんロイヤリティが入ることとなった。

 

 笑いが止まらない天才デイヴ・ロッサム、相前後してロジャー・リン初号機PCMリズムマシンLM-1のバグ出しとデザインレビューも実施。デジタルを熟知しているがためにサンプリングも楽勝で理解。LINNのリズムマシンはマイケル・ジャクソン『スリラー』をはじめ80'sポップスにてめったやたらとアイコニックに聴かれ、ここでも歴史的名機を支えるデイヴ・ロッサムは影の功労者として快進撃!

 

 1979年いよいよ法人にするというのでコインを投げたところ、負けた共同創業者スコット・ウェッジが社長となり、勝ったデイヴ・ロッサムは副社長兼チーフエンジニアとなった。

 

 彼が設計にたずさわったSSMチップはその後も多くのシンセに採用され、例えばKORG PolysixがProphet-5と同じ音がするなどと言われたのもVCFとしてSSMフィルターを搭載していたからにほかならない。単純な音であればそこはかとなく似るので、PolysixはプアマンズProphetなどとも言われる。

 

 無論やぼなサツみたいなこと言ってしまうなら
・フィルター
  SSM 2044:Polysix
  SSM 2040:prophet-5
・オシレーター
  VCO1基+サブオシ:Polysix
  VCO2基+ポリモジュレーション:prophet-5

 

 当然ちょっとでも込み入ったことをすれば音は違う。逆にその伝で言うならKORG Mono/Polyも同じSSMの系譜。いずれにせよSSMは良い音がするICの銘柄であった。

 

 かくのごとくSSMチップもバカ売れし、他社からデジタルスキャニングキーボードのライセンス料をいただき、影の帝王デイヴ・ロッサムは安定のニコニコ経営。「ボクこそが真の勝者♬」と安泰に思っていた。

 

 事実、E-MUが作っていた商品はたった1機種だけ、E-mu Modularのみ。それも総数100とか150セットとか言われる。派手派手しい宣伝広告もマーケティングもしなかったから、ただ口コミで広がるのみ。本人たちもそれくらい秘匿されているほうがお気楽だったらしい。それゆえ収入の多くはコンサルやライセンス料だったのである。

 

 ことほど左様にE-MUはメーカーとしてはちっぽけな存在であり、それでいて電子楽器のすべてを支えるインフラを築き上げてきたという、表舞台ではほとんど知られていなくとも水面下では巨人アトラスが全世界を支えるが如き影のメーカーだったのである。

 

 それでもなお商売になるというのは、すなわちスポットを浴びて話題となるスーパー人気シンセや「なんちゃらテクノロジー」みたいなセンセーショナルな応用技術だけでなく、地味な基礎技術にも理解が深くてちゃんと対価を支払うアメリカの懐の深さを物語るものであろう。

後編へ続く

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nemosynth(ネモシンセ)

【Profile】京都市生まれ。幼少期を海外で過ごす。自然科学少年あらため人類学専攻。言葉にならない音で世界を分節化する音色フェチ。その海外にて、スザンヌ・チアーニが弾くBUCHLAをテレビで見たのが、シンセを意識したなれそめ。一時期ハード・シンセ 40 台その3/4がMIDI無し。今はビンテージから最新アプリまで、十数台のハード・シンセと無数のソフトやアプリ・シンセにまみれる。

https://twitter.com/nemosynth

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