YAMAHA DX9〜 【シンセサイザーのフロンティア〜ヘンテコなシンセたち】Episode 1

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 FM音源がスタンフォード大学のチョウニング博士によって発見されたことは有名だが、博士が技術者ではなく音楽家であったことはあまり知られていない。

 チョウニング博士(Dr. John Chowning)は、1934年アメリカのニュージャージー州生まれ。米海軍に勤務したあとバイオリンと打楽器とを会得、さらにパリへ渡って作曲を学んだ。1962年に合衆国へ帰国し、スタンフォード大学にて音楽の研究を続ける。イカれた連中が黎明期の電子音楽に手を染めており、それとは別のイカれた連中が黎明期のコンピューター開発に勤しんでいたという、そんな時代。といっても電子音楽ではまだ商業ベースに乗ったシンセは存在せず、MOOG(モーグ)とBUCHLA(ブックラ)とが共に手探りでモジュラー・シンセの誕生へ向かって開発していたころ。一方コンピューター業界はコンピューター業界で巨大なメイン・フレームしかなかったころだ。

まだ人類が月に着陸する前の話

 そんな原始的な電子テクノロジーしか無かった時代、チョウニングは音楽に対しコンピューターを用いることに興味を持ち、ベル研究所が開発した音楽プログラミング言語MUSIC IVを使って空間上に音像が動く様子を研究するようになる。のちに三次元音響を生み出すことになるこの研究。だがチョウニングが所属していたスタンフォード大にはシンセシスを開発できるようなアナログ機器が無い代わり、でっかいメイン・フレーム・コンピューターがあった。さらに3年後の1965年には今をときめく人工知能研究所も開設された。こんな状況だったゆえ、彼がアナログではなくデジタル・シンセシスに関心が向いたのも、ごく自然なこと。当時のMOOGやBUCHLAが必死で模索していたアナログ・シンセへの道とは自ずと違った道を歩むよう、チョウニングは初めから運命づけられていたのである。

 

  チョウニングがFM音源の原理を発見したのは実にまだ1967年のことであり、博士もまた32~33歳ごろの若いさかりであった。都市伝説によれば、彼はデジタル・オシレーターにビブラートをかけようとしたのに間違えてモジュレーターの周波数の方を高く設定してしまい、それで偶然にFM合成を発見したそうだ。少なくともチョウニング本人は別に狙ってFM音源を開発したわけではなく、ただ単にビブラートをかけるときキャリア200Hzに対しモジュレーターを50Hz100Hz200Hzと整数倍に高速にしていっただけだという。どんどん周波数と振幅とを増大させていたら偶発的に遭遇しただけだと。そして彼は、今なお自分のことをFM音源の発明者(inventor)ではなく発見者(discoverer)である、と強調してやまない。

 

 詳細な経緯はともかく、FM合成を発見したチョウニング博士はそれを使って幾つかの音色を編み出し、それらでもって黎明期のコンピューター・ミュージックを実現し作曲/録音している。今それらをYouTubeで聴けるとはネット時代はありがたい;

 

John Chowning - Turenas

 

 上記ではステレオにまとめられているが、本来この作品はリスナーの周囲を4つのスピーカーで囲んで聴くことを前提としており、それでもって音像が前後左右にパンニングする音響を体験すべく彼は作ったという。アグレッシブなサラウンド的解釈による実験だったのである。しかし彼がFM合成を発見した1967年の時点では、それでもってさまざまな音色を生み出せることは理解できても、それが何を意味するのかは、スタンフォードのチョウニングといえどにわかには分からなかったのである。

Minimoogと同じ時代に生まれたFM合成

 最初の運命の瞬間はFM合成を発見して数年後、1970年ごろに訪れた。ある日チョウニング博士は、フランスの音楽家ジャン=クロード・リセ(Jean-Claude Risset)による研究結果を思い出し、しばし考えていた。その研究によれば、金管楽器において最初の数msはほとんど基音しかないのに対し、次の30msないし40msの間に次々と倍音が、しかもどんどん大きな振幅で出現する。つまり音のスペクトラムとエネルギーには強い相関関係があった。リセの研究結果を思い返していたチョウニング博士は、自分が発見したFM合成によってリセの発見を近似的に再現できることに、ふと気づいたのである。

 

 「音の強度エンベロープでもって、FM変調インデックスとすれば良い! そうすればたった2つのオシレーターだけで、豊潤な耳をとらえる音色がいかようにでも生み出せる!」

音とは時間的に変化してこそアート。
音とは時間軸上に展開する芸術。
その点で、音は今をときめく動画と同じ(僕は静止画みたいなドローン音も好きですけどねw)。

 

 当時はMOOGがフィルターを発明して日もまだ浅く、Minimoogがようやく誕生したころ。そのフィルター回路はMOOG唯一のパテントが取られたほどで、なかなかに天才的に独創的な回路であった。ひるがえってFM音源はフィルターのごときトリッキーなカラクリを必要とせず、既存のオシレーターが2基ありさえすれば、そしてそれを直列につなぎさえすれば、あとは各々に音量EGをかますだけで無限に音創りできたのである。かつ、そこから得られる音色のバリエーションたるや、MOOGが編み出した当時の減算方式なんて比較にならないくらい、ずっと幅広い。

 

 のちのDX7になる萌芽が、産声を上げた瞬間である。ビンテージ・アナログの権化Minimoogが産声を上げたのと同じ時代に、デジタルによるFM音源は誕生したのであった。時代の女神は、チョウニングに微笑んだ。魅了された彼はFM合成を駆使し、複雑で豊かな音色を次々と作り出した。その中にはアコースティック楽器のエミュレーションもあった。特に博士が強い関心を抱いたのは人の声を再現することであった。驚いた仲間たちはチョウニング博士に対し、ぜひとも研究を続けるよう勧めた。さらにはスタンフォード大そのものが、これはカネになる!と踏んだ。

 

 たった2基のオシレーターだけで無限に音創りしてしまえるこの画期的な音源方式を、同大学はさまざまな楽器メーカーに対し売り込んでいった。だが、HAMMONDやWURLITZERなどオルガンを作っているメーカー数社が若干興味を示したものの、その技術者たちはチョウニング博士が何を言っているのかさっぱり理解できなかった。かくしてスタンフォード大が売り込み先をいろいろあたっているうちに、当時まだ名も知られていないある日本のメーカーと接触することになる。

運命的な邂逅を果たしたFM音源

 この当時、既にYAMAHAは世界最大の楽器メーカーではあったが、まだ北米ではまるで無名の会社であった。ましてやスタンフォード大が、遠い極東にあるYAMAHAのことなど知る由もない。だが、そこはさすがスタンフォード。世界に冠たるビジネス・スクールことスタンフォード大学経営大学院を卒業した人物がYAMAHAの名を知ることとなり、売り込み先としてふさわしいかどうかを調査した。ちょうどそのとき、偶然にもYAMAHAのチーフ・エンジニアの一人がカリフォルニアにある彼らの米国支社へ出張していた。コンタクトを受けスタンフォード大学まで足を伸ばしてやってきたその若きエンジニア“カズキヨ・イシムラ氏”は、チョウニング博士の研究が意味するところをたった10分で悟ったという。

 

 そもそもヤマハがFM音源を採用したのは、まずアコースティック楽器メーカーとしてのこだわりからか、鍵盤のタッチ・センスを生かしたシンセを作りたかったということに始まる。まだまだ世の中アナログ・モノシンセだらけだった時代に、Touch Response-X、略してTR-Xの名で始まった開発プロジェクト。それは鍵盤を弾く強弱によって表情豊かに音色が変化する、いかにも楽器らしいシンセを作りたいという意図からであった。つまり、YAMAHAにとってはそれは別にFM音源でなくても良かった。とにかくタッチ・センスによって音色が大きく変化する音源方式であれば、何でも良かったのである。

 

 もう一つYAMAHAが他社を先んじていた点は、既存メーカーの大半が真空管を使っていたのに対し、エレクトーンなどを開発するにあたり最初からトランジスターなど半導体だけで電子楽器を作っていたことである。この半導体技術があればFM音源を手なづける回路も夢ではない。

 

 チョウニング博士がFM音源の原理を発見してから7~8年後の1974年ないし1975年、キー・ベロシティによって音色変化の幅が大きく取れることが期待されたため、YAMAHAはスタンフォード大学とFM音源並びにその原理の発見者たるチョウニング博士ごと、独占ライセンス契約することになった。ときに、日本初のシンセサイザーKORG MiniKorg 700ROLAND SH-1000が出たばかり。続けてYAMAHAもGX-1SY-1というアナログ・シンセの初号機を出したころ。そんなビンテージ・アナログの黎明期に、既にデジタルFMシンセを商品化する技術開発がスタートしたのである。

難解な方程式が並んだDX9の取説

 それから8年ほど経った1983年3月。
DX7よりもDX9の方が売れますよ。値段が安いんだから」
ときの営業部門は、そんなようなことを言っていたらしい。

 

 史上初、本体操作のみで全パラメーターをエディットできるデジタルFM音源シンセ、YAMAHA DX1DX7DX9の三連星。DX1DX7とは、6オペレーター32アルゴリズムだったが、DX9のみ4オペレーター8アルゴリズム。ただエンベロープの仕様はDX7と同じ8パラメーター仕様。この点においてDX9は、実はたった1機種だけのレアな仕様を持った4オペ機であり、のちのDX21DX27DX100、さらにはV2V50などとも違う、天上天下唯我独尊な機種となった。すなわちDX9の音源は、DX7の音源駆動プログラムの一部をフタをしているだけであり、その後に誕生したDX100といった廉価版とは根本的に成り立ちが違う;

DX9のアルゴリズム3は、DX7のアルゴリズム8から
DX9のアルゴリズム4は、DX7のアルゴリズム7から
おのおのDX7のオペレーター1と2をマスクして持ってきてるらしい。

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DX9に搭載されている8つのアルゴリズム

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DX9のアルゴリズム3は、DX7のアルゴリズム8から、DX7のオペレーター1と2をマスクして持ってきてるらしい

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DX9のアルゴリズム4は、DX7のアルゴリズム7から、DX7のオペレーター1と2をマスクして持ってきてるらしい

結果:DX9のアルゴリズム3のオペレーター2は、DX21のアルゴリズム3のオペレーター4であり、よって共にフィードバックがかかり、すなわちアルゴリズムの形は同じでもオペレーター番号が違う。なおFM音源そのものはチョウニング博士の偉業だが、フィードバックという概念を発明したのはYAMAHAの功績である。

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DX9のアルゴリズム3のオペレーター2は、DX21のアルゴリズム3のオペレーター4であり、共にフィードバックがかかる


 さて、サイン波オシレーターに音量エンベロープをカップリングしたものを“オペレーター”、その結線を“アルゴリズム”と呼んだわけだが、DXシリーズは言わば4つないし6つものオシレーターをさまざまに組み合わせて音創りするわけで、事実上セミモジュラー・シンセであった。そのためDX7にて音創りするためには144ものパラメーターを設定するわけで、従前のアナログ・シンセとは桁違いに膨大な数の変数を入力せねばならなかった。

 

 FM理論そのものも難解で、しかも音創りしていても法則性に乏しく結果が予測できなかった。FMを和訳すれば周波数変調であり、その点ではアナログ・シンセにもあったクロス・モジュレーションに酷似したもの。だが両者における波形演算の方程式は微妙に違う。FM音源は厳密に言うとPM音源(Phase Modulation:位相変調)であるが、YAMAHAの“FM音源”という名称があまりにもシンセ業界で普及し浸透したため、クロス変調は指数FMExponential FM)、YAMAHAのFM音源は線形FMLinear FM)と呼び分けることもある。音色で言えば、YAMAHAの線形FMの方がより音楽的に基音がはっきりキー・フォローするので楽器として使いやすい。逆に指数FMことクロス変調は独特の倍音の暴れ具合が面白い。

 

 とはいえ、予測不可能であることに違いはない。キャリアとモジュレーターの周波数比を偶数比にすればノコギリ波系、奇数比にすれば矩形波形、モジュレーターの出力レベルがフィルターのカットオフみたいなもの、などとさまざまに工夫して解説された。が、結局は音色変化が不規則過ぎて最後には偶発性がものを言うので、ひたすら経験を積まねばならない。DX9の取扱説明書を見ると、恐ろしいことにベッセル関数の解説がまともに書いてある。しかもずらずらと難解な方程式が延々と続いた挙げ句、“もうしばらくの辛抱です”などとあってさらに延々々々々続き、最後にはご丁寧に数学らしく“証明終わり”などと結んであって失神しそうになる。

 

 そんな難解な音源を搭載してしまったDXシリーズ。営業が悲観的になるのも無理はない。だからこそ、あれほどタッチ・センスにこだわってタッチ・センスに反応する音源として、その名もTouch Response-Xプロジェクトの帰結としてDXは登場したのに、そのタッチ・センスを無くしてコスト・ダウンを図ったDX9が必要とされた。コスト・カットのためとはいえ驚くのはこればかりではない。音色を保存するための外部メディアに時代遅れになりつつあったカセット・テープ・インターフェースを搭載、みんなが大好きな坂本龍一や向谷実の音色ROMカートリッジ・ライブラリーを読み込めず、ピッチEGも無いしフィクスド・フリケンシーも無い、そしてなによりも手に入れて仰天することに液晶表示板があるのに音色に名前すら付けられない! 自慢のLCDは音色パラメーターを表示するだけで、7セグのLED数字表示だけが今どの音色を弾いているのかを知る唯一のたより!

 

 質より普及力。この普及力が課せられた以上、DX7と同じ6オペだとかぶって食ってしまうわけで、それを回避すべくあえて4オペに仕様を落としたのかもしれない。だとしたら普及力という決意の力こぶによるトレード・オフとなったわけだ。まさかFM音源が、全く理解されないままに爆発的に売れまくることになろうとは、メーカーも予想だにし得なかったに違いない。

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新世代を象徴するDX9のデザイン。そのコンセプトは、兄弟機種DX7を経由し某バーチャル・シンガーにも引き継がれた

 音楽の流行にまでなったDX7。斬新な音色を搭載し、画期的なスペックを誇り、新世代を象徴するデザインを身にまとい、時代の寵児となり、それでいてDX7は量産には向かない作りなのだという。半年も入荷待ちの状態が続いたその代替としてDX9は脚光を浴びるも、じきにこれは別物だから買わない方がいいという話が楽器屋さんに出回ることになる。これに気づいたのか、YAMAHAも早速DX21という賢い後継機種を投入。以来DX9の凋落ぶりも甚だしく、DXは毎年のように新機種が矢継ぎ早にローンチされ、製品サイクルが速過ぎるという文句もかき消さんばかりにDXシリーズは破竹の快進撃を遂げ、苦戦が続いたKORGはYAMAHAの子会社となった。

 

 ひどい操作性もあって仕組みを理解されないまま売れに売れまくったDXシリーズだが、やがて“我こそはFMでの音創りを理解せり!”と名乗りを上げるプロたちが登場すると、彼らが作った音色データがメモリー・カートリッジに収録されて別途販売されるようになり、ここにサウンド・ライブラリーの時代が到来した。人気アーティストの音色も販売され、誰でもカシオペアや『メディア・バーン・ライヴ』の音色を手にできるようになり、結局、自分の演奏テクを思い知ることになった。しかし、そんなバズってるライブラリー・ビジネスからもDX9は無縁だったのである。互換性も無いし、音色カートリッジそのものに対応してないし。

 

 光あるところに影がある。日影のシンセ、DX9、まさに影虎。でも、でかいし重たいけど4オペ機で16音ポリもあるのはDX9V50だけ、その中でも8パラメーターEGを装備しているのはDX9だけ。 

デジタルもアナログも同窓生なのである

 その後、チョウニング博士はスタンフォード大学にてCCRMACenter for Computer Research in Music and Acoustics:音楽と音響のためのコンピューター研究所)を設立。1996年に同研究所を退官。その後も CYCLING '74 Max/MSP を使って音色や音楽をプログラミングしている。彼は、FM音源を発見できたのは自分が音楽の訓練を受けていたからであって、決して技術での勝利でもなければ数学的な勝利でもない、言うなれば耳による発見だ、と述懐している。

 

 FM音源の真意をものの10分で見抜いた若き日本のエンジニア石村和清氏は、のちの1990年代後半にヤマハ9代目社長となった。そのころYAMAHAは、Montageの祖となったFM音源モジュールFS1Rや、FM音源グルーブ・ボックスDX200DTM音源モジュール用FM音源搭載プラグイン・ボードなど、1990年代なりのFM音源リバイバルに挑戦している。以降は、よく知られた歴史であろう。

 

 デジタル・シンセシスは、アナログと同じくらい昔からあったのだ。そもそも人間は坂道をえっちらおっちら登り降りするのがいや過ぎて、斜面を階段へとデジタイズした。そうすれば楽に登り降りできる。アナログな森羅万象を言葉で分節化するは人間の常であるが、それもまたデジタイズ。つまりデジタルとはロゴスでもあり、それゆえデジタルとは情報の圧縮である。そもそもデジタルそのものが圧縮である以上、ロスレスだなんだと言っているのは自己矛盾。ほんとうの非圧縮はアナログであろう。

 

 ヒトはさまざまなものをデジタイズすることで扱いやすいよう加工し手なづけてきた。火を発見して焼き肉を発明したように、デジタルとは情報を摂取しやすくするための火であった。定点観測やタイムラプス撮影というのも、アナログな変化を時間軸上にてデジタイズしたタイミングで撮影しているわけだ。アナログに連続変化しているように見えて、実はコマ落としというデジタル。コンピューターはスイッチのかたまりなので、オンとオフ、0と1という2進言語を使うは当たり前。それでもってデジタルですべてを処理している、それこそAIに至るまで。

 

 そのコンピューターが既に1960年代に存在し、それでもってデジタル・シンセシスを追求していたのは何もスタンフォード大学のチョウニング博士だけではなかった。前回ご紹介したイギリスでEMS社を興したジノヴィエフは、もっと前からなぜかDECPDP-8なる汎用機を2台も所有し、お手製のデジタル・テクノロジーでもってさまざまな音創りやコンピューターによる作曲まで行い、機械化ライブまで敢行していたのである。ちなみにそのPDP-8は家が買えるほどの値段がしたものの、彼は妻が持っていた宝飾品を売り飛ばして買ったという。本人いわく、妻が余らせていた宝飾品だとか。流石は帝政ロシア貴族の子供(?)。

 

 そのジノヴィエフがコンピューター・ミュージックやデジタル・サンプリングを試行錯誤し始めるのが、1960年ごろ。BUCHLAがアナログ・モジュラー・シンセの100シリーズを販売するようになったのは、1963年。MOOGが、AESショウに同社初のアナログ・モジュラー・シンセを出展したのは、1964年。チョウニングが、デジタル・シンセシス研究の中でFM音源を発見したのは、1967。ジノヴィエフらがついにカネが尽きてきて資金集めにアナログ卓上モジュラー・シンセVCS3を発売するのが、1969年。押しも押されもせぬ史上初のアナログ“非モジュラー”シンセMinimoogが発売されるのが、1970年。

 

Minimoogよりも前に生まれていたFM音源!
Minimoogよりも前に産声を上げていたデジタル・シンセシス!

デジタルもアナログも、同窓生。
デジタルもアナログも、どちらが古いとか新しいとかではない。
デジタルもアナログも、共に等しく未来へ向かうテクノロジー。

なのである。

 

nemosynth(ネモシンセ)

【Profile】京都市生まれ。幼少期を海外で過ごす。自然科学少年あらため人類学専攻。言葉にならない音で世界を分節化する音色フェチ。その海外にて、スザンヌ・チアーニが弾くBUCHLAをテレビで見たのが、シンセを意識したなれそめ。一時期ハード・シンセ 40 台その3/4がMIDI無し。今はビンテージから最新アプリまで、十数台のハード・シンセと無数のソフトやアプリ・シンセにまみれる。

https://twitter.com/nemosynth

 

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