EMS VCS3 〜 【シンセサイザーのフロンティア〜ヘンテコなシンセたち】Episode Zero - 序奏

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 そう、シンセとは何であろう?

 生楽器のものまね? 既存楽器の代用? アコピ、エレピ、オルガンの音が良ければ、キーボードは売れるという。まさに三種の神器。でもシンセって、そんなお約束の様式美でいいのか? 電子楽器は、もっと既存の束縛から自由な、しがらみの無さが良かったんじゃないのか? 聴いたことがない音、分類不能な音がしてこそ、シンセの本懐ではなかったか? 使える音、使えない音なんて関係あらへん! シンセはシンセ独自のアイデンティティを追求すべきではなかったのか?

 未来に挑むカンブリア紀の大爆発シンセたち。それら、へんてこなシンセたちこそ、本当に宇宙の挑戦を受けて立つ人類にふさわしい。そんなシンセサイザーのフロンティアたちを紹介していくのがこの連載である。

“テープ編集も、パッチ・コードも大嫌いなんだ!”

 まだシンセと言えば、MOOG(モーグ)製かBUCHLA(ブックラ)製かしか無かった時代のこと。すべてシンセはアメリカ製、それも壁を覆う巨大モジュラー・システム、天文学的なお値段、大学の前衛音楽研究室か放送局の音響実験室かに納品されるものばかり。楽器として生まれる初の機種Minimoog(ミニモーグ)は、だがまだ世に出る前の開発途上。後にMOOGの好敵手となるARP(アープ)に至っては創業して日も浅く、社名もいまだTONUS INC.(トーナス)となっていた、そんな時代の話。

 

 そのとき、アメリカ合衆国から大西洋を隔てたイギリスはロンドンにて、小さなシンセ・メーカーが誕生した。その名もEMS(ELECTRONIC MUSIC STUDIOS)、和訳すれば“電子音楽スタジオ社”。このひねりゼロの、しかし当時最先端アートだった電子音楽にかけたドストレートな社名。そしてその電子音楽に賭けた夢の初号機が、創業と同じ1969年に登場したVCS3(Voltage Controlled Studio Version 3)、和訳すれば、“電圧制御式スタジオ第3版”ですか。最先端レコスタを丸ごと電圧で制御してやろうだなんて、なかなかどうしてエンジニア魂こもった素敵な名前じゃありませんか。こうして史上初のデスクトップ型フル・アナログ・モジュラー・シンセが、これまた生真面目なまでに正確無比な形のノコギリ状波でもって産声を上げた(MOOGなどのは波形が崩れていてそれがまた不思議に音楽的な音なのよ)。 

 

 EMSを創設し、VCS3を作ったのは、この三羽ガラス。
◎Peter Zinovieff:コンセプトと仕様を決めたジノヴィエフ氏
◎David Cockerell:回路設計をしたコッカレル氏
◎Tristram Cary:外装などを担当したケイリー氏 

 ジノヴィエフ氏の両親は、帝政ロシア貴族。かの国の革命のときにイギリスへ亡命。そのあとの1933年に彼は生まれた。科学者だった彼は、1950年代から黎明期の電子技術と音楽とのカップリングにご執心であった。ロンドンはテムズ河畔の自宅に半地下の実験室を作り、軍から払い下げられた機械をぎゅうぎゅう押し込み、何とかして最先端電子テクノロジーを音楽に応用しようと日夜没頭。時にはテムズ川が氾濫、半地下の実験室が浸水。それでも彼は張り切ってクラシック音楽界の前衛作曲家シュトックハウゼンらを招いては、無料で貸し出していた。

 

 そこには助手となるエンジニアがいるも、ジノヴィエフによるテクノロジカル無茶振りが過ぎるあまり、面倒くさくなったエンジニア君はかつての同窓生だったコッカレル氏を誘い込み、彼に丸投げしてトンズラこく始末。当時コッカレル氏はイギリス国立医療センター勤務の技術者。のちの回想で、“ジノヴィエフはすべからくアマチュアっぽい稚拙なスキルで解決しようとしていて無理あり過ぎ、郵便局からかっぱらってきたリレー回路なんかで実現できるわけねーじゃねーかよ、そして我慢強いコッカレルが呼ばれたのだろう”と。で、残されたコッカレル氏が辛抱強くジノヴィエフ氏の要望を聞いては、VCOをはじめ彼らの夢を具現化していった。

 

 1960年ごろのジノヴィエフ氏は、だが、当時の最先端だった録音テープ編集音楽“ミュージック・コンクレート”が大っ嫌い。スマホDAWみたいなグラフィック波形表示も無いのに、音と耳だけを頼りに磁気テープへの一刀入魂ばかり繰り返して切った張ったなんてありえん。そう考えた彼は“シーケンサー”というものを思いつき、DECの汎用コンピューター、それも軍事産業か科学研究機関でしか使われない小型冷蔵庫ほどもある機種PDP-8を、家一軒分のカネを払って購入。ばかでかいナリしてRAMは8KBだったが、なんせ当時これが最安価の機種だったのだから仕方がない。さらにもう一軒の家が買えるカネで32KBに拡張、トドメにもう1台また買う。電動機械式タイプライター“テレタイプ端末”をばちばち打ってプログラミングし、シーケンサーを開発。そのうち数字をタイプしていてはめんどっちぃとノブをたくさん付けて制御せんとした。

 

 アメリカ人らがようやく電圧ですべてを制御するモジュラー・シンセを世に送り出すころ、既にジノヴィエフ氏の一味は、一足飛びに全部コンピューター制御による全く新しい電化された機械作曲や、電化された機械音楽を構想していたのだ。彼らは64基もの16ビット/46kHzデジタル・オシレーターを開発。ADコンバーターも実現しモーツァルトのピアノ・ソナタを1〜2秒ほどサンプリングし、新開発の64バンド・フィルター・スペアナでもって解析、原音忠実にリシンセシスで再現せんと四苦八苦。ついに全自動電子音楽コンサートまで敢行、聴衆理解不能阿鼻叫喚若干爆睡倫敦崩壊河川氾濫地下室水没床下浸水イカした浸水(要出典)。

 

 だがさすがにオイタが過ぎて資金難になり、財源とすべく開発したシンセが、何を隠そうVCS3だったのである。 

 

戦艦沈没ゲーム式マトリクス・ピンボード!

 試作機VCS1は、オシレーター2基、フィルター1基、EG1基をラックマウント型に収めた代物であった。だがこれではMOOGみたいな連中に勝てないというので、そのあと開発されたVCS3は、目標定価100ポンドだか200ポンドだかを超えて300ポンド、当時のレートで24万円ほどになったものの、MOOGやBUCHLAと比べてもはるかに安価、かつ卓上に載るコンパクト・サイズ。そして“パッチ・コードも大嫌いだった”というジノヴィエフのおかげで、史上初のマトリクス・ピンボードを採用。これが戦艦沈没ゲーム方式であるため、1つのソースから複数のデスティネーションへパラったり、複数のソースから単一のデスティネーションへ集約したりと結線も自由自在。さすが、英国の星!

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件(くだん)のマトリクス・ピンボード

 だが、すべてをV/Octで統一したMOOGの偉大さを理解していたのか否か、EMS VCS3では、
◎VCO1:0.32V/Oct
◎VCO2:0.32V/Oct
◎VCO3:0.25V/Oct
◎VCF:0.20V/Oct
◎DK1(専用鍵盤)のCV出力:1V/Oct

ほんでしかもDK1を使って平均律を弾くためには周波数ノブを369.99Hzに設定って、何じゃその端数は!? 虎の子のマトリクス・ピンボードに至っては、クロストークする始末

 

 いい加減な仕様と作りのため変な音しかしないVCS3は、だがそれでもなおピンク・フロイドをはじめとするイギリスのプログレ界へ、そして全欧に広まり、ケミカル・ブラザーズなど多くの愛好家を生んだ。ブライアン・イーノに至っては、VCS3を修理に出すにあたり、“ここは直すな、あの不具合は直すな”と長いリストを添えたという。

 

 どだい変な音しかしないVCS3は、だが、見事にシンセらしいシンセであった。

 

 その後もEMS社のラインナップは拡充するも、1989年、創業20周年とともにVCS3を20年間にわたり販売し続けていることを発表。当時の海外フェアにて、YAMAHA SY77、KORG T1/2/3, ROLAND D-5などの最新フル・デジタル・シンセと一緒にVCS3が展示されていることに、シーラカンスを目の当たりにしたような感慨にふけった人も、世界中におったことであろう。

 

 VCS3やSynthi AKSなどが出てから半世紀以上たった今、EMSの中古品は50万円以上し、程度の良いものであれば100万円したりもする。長い歴史にわたり人々を魅了してきた名機として今なお語り継がれているばかりか、iOSアプリシンセAPESOFT iVCS3はもちろん、アナログ回路によるBEHRINGERの試作ハードウェアであるとか、AKSクローンを超えたオマージュ機種ERICA SYNTHS Syntrxまで登場。デジタル化されたマトリクス・ピンボードは、設定をメモリーに保存できて使い勝手がよく、モジュレーション・マトリクスの可視化という観点からしても、もっともっと広まってもいい。

 

三羽ガラスそれぞれの旅立ち

 VCS3の外観デザインを担当したケイリー氏は、EMSに参加する以前から黎明期の電子音楽作曲家として活躍、映画『火星人地球大襲撃』や TVシリーズ『ドクター・フー』などで電子音を鳴らして人々を唸らせ、偉大なコンポーザーとして2008年に82歳で没した。

 

 VCS3の内部回路を設計したコッカレル氏は、その後、MiniKorg 700を見て、それがいかに洗練されているかを目の当たりにして脱帽し、EMSからELECTRO-HARMONIXへ転職、今やビンテージとなっているフェイザーSmall Stone や、フランジャーElectric Mistressなどを開発。彼が脱帽したMiniKorg 700や700Sも、仕様として今見ればけったいな機種なのだが設計思想が自由であり、かつ音にキャラがあって非常に良く、今年ご本家から半世紀近くぶりに700Sの復刻版700FSとしてカーテンコールしたのは記憶に新しい。

 

 さらにその後、コッカレル氏はフランス国立音響音楽研究所ことIRCAM(イルカム)にて研究。サンプラーを開発、それをあちこちのメーカーへ売り込んで回り、最終的に興味を示したAKAI PROFESSIONALに就職、しかも当時FAIRLIGHTやE-MU Emulatorしか無かった時代において価格破壊となったENSONIQ Mirageに続く、AKAI PROFESSIONAL初のサンプラーS612を1985年に開発。その後、彼はロジャー・リンとの共同開発たるMPC60や、のちのS3200まで回路設計もしている。

 

 そして今は、再びELECTRO-HARMONIXに戻って新しいエフェクトを開発。可動部品を一切使わないワウ・ペダルCrying Toneを世に送り出したりしている。彼はビンテージの復刻には興味が無いが、それは“あくまで最新のものが最良”という、エンジニア魂の成せるところ。テクノロジーによるセンス・オブ・ワンダー、それがもたらす明るく健全な未来感。この点は、デイヴ・スミス氏もトム・オーバーハイム氏も梯郁太郎氏も同じですね。

 

 VCS3のコンセプトと仕様を決めたマッド・サイエンティストのごときジノヴィエフ氏は、その後“ブリテンのボブ・モーグ”とまで呼ばれ、グランド・ピアノにソレノイド磁石を付けハンマーを動かすことで、コンピューターによる自動演奏をさせる試みまでしている。

 

 すっかりおじいさんになった21世紀に入っても、DAWにCOCKOS Reaperを、ノーテション用にAVID Sibelius とPRESONUS Notionを、そしてソフト音源NATIVE INSTRUMENTS Kontaktを使って音楽。VSTをはじめとするDAW環境は素晴らしいと彼は言うが、しかしその一方、彼はPCの中にあるソフトを直接わしづかみして操作したくてたまらないのだと愚痴っていた。そんな彼が、自宅で転倒してから10日間ほど入院したまま、ついに還ってこなくなったのは、今年2021年6月のこと。享年88歳。転んでいなければ、もっともっと楽しいもん作ってくれはったやもしれんのに、と思うと、残念でならない。

 

nemosynth(ネモシンセ)

【Profile】京都市生まれ。幼少期を海外で過ごす。自然科学少年あらため人類学専攻。言葉にならない音で世界を分節化する音色フェチ。その海外にて、スザンヌ・チアーニが弾くBUCHLAをテレビで見たのが、シンセを意識したなれそめ。一時期ハード・シンセ 40 台その3/4がMIDI無し。今はビンテージから最新アプリまで、十数台のハード・シンセと無数のソフトやアプリ・シンセにまみれる。
https://twitter.com/nemosynth

 

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