去る10月某日、SENNHEISERの創業家3代目であり、兄弟のアンドレアス氏とともに共同CEOを務めるダニエル・ゼンハイザー氏が来日を果たした。来年創業80年を迎えるヘッドホンやマイクの一大ブランドであるとともに、NEUMANN、MERGING TECHNOLOGIES、DEAR REALITYを傘下に持ち、ここ数年プロオーディオ界でさまざまな分野へ進出している。編集部ではこの機会に、SENNHEISERグループの現在のビジョンについて、話を伺う機会を得た。
日本のユーザーはクオリティに対する要求が高い
−2022年にプロオーディオ・マーケットにリソースを集約する方針を立てて以降、
NEUMANNに続いて2019年にDEAR REALITY、2022年にMERGING TECHNOLOGIESといったブランドを傘下に収められました。プロオーディオの中でも従来SENNHEISERが扱ってきたマイクやワイヤレスなどの分野から拡張してきたのはなぜですか?
ダニエル 80年もの間、SENNHEISERはオーディオの未来に向け、年々新しいビジネスプロダクトやビジネスエリアを構築してきました。SENNHEISERのビジネスは、創業当初からサイエンスとエンジニアリングに基づいています。私とアンドレアスは、常にマーケットを進歩させるためのアイディアを抱いています。エンジニアに限らず、社を挙げて、どのようにすべてのことを向上していけるのかを考え、その結果として新しい製品を世に送ることができるのです。そして、異なるビジネス分野に取り組むことは我々によってよい実践となっています。ご存じのように、私たちは2022年にコンシューマーオーディオ分野を他のオーナーに譲り、プロフェッショナルオーディオ、ビジネスコミュニケーション、そしてNEUMANNなどに集中してきました。そして、これまで手掛けてきた分野の外側……例えばDEAR REALITYやMERGING TECHNOLOGIESを傘下に収めたことで、イマーシブやネットワークオーディオのような視点を得ることができました。
−SENNHEISERはワールドワイドにビジネスを展開していますが、日本のマーケットの特徴をどのようにお考えですか?
ダニエル 我々の日本法人としてゼンハイザージャパンが設立して17年経ちますが、日本は我々のビジネスにおいて、最も重要な国の一つだと思います。日本の市場には2つの特徴があります。一つは、製品のクオリティについての要求が非常に高いことで、ワイヤレス製品で言えばDigital 6000やDigital 9000、NEUMANNで言えばU 87やMT 48など高品位な製品が注目を集めていて、我々も日本市場に受け入れていただけるような製品のクオリティを重視しています。もう一つはワイヤレス製品における電波法対応において、日本に向けた製品を作る必要があるということです。
−ワイヤレス製品は各国で法律や規制が異なるので、対応が大変ですね。
ダニエル 確かにその通りですが、私たちは“次世代”を常に考え、以前の製品よりも良いものを生み出せるように常にテストを続けています。1958年に私たちは初めてワイヤレスマイクを発売したとき、UHFの技術はまだありませんでした。その後、UHFに進化して、その技術を基盤に今ははるかに進化したものが発表されています。特に、広帯域双方向送受信を行うWMAS(Wireless Multichannel Audio Systems)に基づいたSpecteraを2024年9月に発表しました(注:日本での展開時期は未定)。ホワイトバンドを使い、64ch(送信32ch、受信32ch)を同時に扱うことができます。
イノベーションは常に顧客とのコラボレーションで生み出される
−SENNHEISERグループの次世代を考えるためには、開発が重要だと思いますが、全体でどのくらいのエンジニアがいらっしゃるのですか?
ダニエル R&D(調査と開発)に約300人のエンジニアがいますが、プロダクション(生産工程)にも約100人います。R&Dからプロダクションへの移行……実際の製品としてどのように実現するのかが最も難しい部分です。私たちはドイツやルーマニアの自社工場で生産していますし、製品ごとに自動化された生産設備を設けるために、多くの人材や設備に投資をしています。私たちはユーザーにこれでしか経験できないような“キー・コンポーネント”を生産したいと考えています。それは、ドイツのファミリー・ビジネスとしてスタートしたSENNHEISERが現在のグローバル市場で生き抜くために必要なものです。過去2年間、弊社ではドイツ国内の生産設備に1,900万ユーロを投資しましたし、ルーマニアにも全く同等の基準で生産設備を構えています。
−“キー・コンポーネント”とは?
ダニエル まずはマイクのトランスデューサー……カプセルがあります。NEUMANNとSENNHEISERの開発チームは、それぞれでコンポーネントを開発しています。NEUMANNはベルリンでスタジオ向けの高精細なコンポーネントを、SENNHEISERはハノーヴァーで、こちらも繊細ではありますがスポーツ中継で用いられることを想定したMKHシリーズのような堅牢さを兼ね備えた製品を手掛けています。ワイヤレスで言えば送受信の伝送技術があり、Digital 6000やDigital 9000などのハイエンド製品もあれば、またEvolution Wireless Digitalのように手軽に扱える製品もあります。もちろん、ワイヤレスではマイクのトランスデューサーもキー・コンポーネントで、これらの全体としてとらえることもできるでしょうし、それぞれのマーケットに向けた扱いやすさにも重きを置いています。
−SENNHEISERやNEUMANNのような歴史あるブランドで、新しい革新的な技術を生み出すための秘訣はあるのでしょうか? ダニエルさんが陣頭指揮を執るようなことは?
ダニエル 私が“指揮する”というのは適切な表現ではありませんね。SENNHEISERのイノベーションは常に、お客様とのコラボレーションで生み出されています。お客様が抱えている問題は、エンジニアのインスピレーションの素となっているのです。例えば、シンガーのP!NKから「空中で歌うアクロバティックなショウをしたい」という要望があり、それに耐えうる特別なインイヤモニターとマイクを統合したシステムを用意しました。その問題解決が、新しいプロダクトにインスピレーションを与えています。これは一つの例にすぎません。私やスタッフがビジネスで各国のお客様を訪問するのも、インスピレーションを得る機会です。今回も、来日に関するレポートを書いて、お客様の問題解決のために何ができるかを考え、それをプロジェクトに組み込むことになります。
自然界では音声は立体なので市場がイマーシブを受け入れる下地はある
−例えばSENNHEISERとNEUMANNでのコラボレーションなど、傘下のブランド間の情報共有や協力体制は?
ダニエル 先程お話ししたように、それぞれのR&Dチームはそれぞれのキー・コンポーネントを手掛けていますが、生産方法、技術、市場状況などについては協力し合っています。もちろん、各ブランドが主力としているマーケットは異なっていますが、同時にブランド間で“健全な競争”をしています。また、SENNHEISERグループはAMBEOでのイマーシブサウンドに関して、同じ目標に向いて動いています。
−AMBEOはブランドを横断してイマーシブ制作環境を整える試みだと理解しています。
ダニエル NEUMANNでは1970年代からダミーヘッドマイクKU 100でバイノーラル録音に取り組んできました。そしてこの10年、ルームアコースティックやイマーシブオーディオの研究を進め、AMBEOと名付けました。そもそも、自然界では音声は立体であり、人間の聴覚はそれを自然だと感じますから、市場もこれを受け入れる下地があると考えています。AMBEOはAMBEO VR MICでのレコーディング、DEAR REALITYプラグインを使った3Dミックス、NEUMANNのKHモニタースピーカーやMT 48を使ったモニタリングなど、イマーシブのさまざまな側面を支えるものです。
−イマーシブオーディオの成長状況は、ダニエルさんの眼から見ていかがですか?
ダニエル 先程から申し上げているように、イマーシブオーディオは自然な聴感を反映するものとして重要な技術で、自分の心理や感情にも深く関わっています。長年、イマーシブオーディオは“鶏が先か、卵が先か”、つまりコンテンツ供給と再生システムの問題を抱えていましたが、現在はそれが収束してきました。映画館はもとより、NetflixやAmazon VideoでのDolby Atmos配信、音楽のDolby Atmos配信がそろってきていますし、再生側ではヘッドホンやイヤホンのバイノーラル技術も進んできています。イマーシブオーディオは再生環境に合わせたレンダリングが可能ですので、私たちのAMBEO の技術を使って、ステレオシステムであっても没入感あるサウンドで再生することもできます。リスナーは一度ステレオとの違いを聴くと、戻れないでしょう。良いワインを飲み慣れると、その説明ができなくても、安いワインに戻れなくなるのと同じです。また、SENNHEISERではCUPRAやsmartといった自動車メーカーと提携して、イマーシブオーディオを供給しています。
クラウドも視野に入れたAoIPへの対応
−SENNHEISERではTeamConnectのような会議室向けのマイクロフォンシステムも手掛けるようになりました。この分野は他社も多く参入していますが、SENNHEISERの強みはどこにあるとお考えでしょうか?
ダニエル 会議用シーリングマイクシステムの鍵は、マイクアレイ技術に基づいています。マイクアレイ自体は1980年代に発表された技術で、最初はポストプロダクションでの指向性制御用と考えられてきました。現在のDSPは、毎秒30回の高速なビームフォーミングが行え、それが私たちの強みになっています。ダイナミックに鋭い指向性を作ることにより、人が話す声の位置を計算して、不必要な音を拾うことがないようにできるのです。結果として使い方を知らない人が扱っても、ラベリアマイクのような音質が得られます。
−会議室システムについては、SENNHEISERはマイクブランドとして、DSPなどを手がけるXilicaをはじめとした他社とのコラボレーションを行っていますが、こうした関係性を築いていくことも新たなチャレンジではないかと思います。
ダニエル 私たちは最高のマイクを生産していると自負していますが、会議室音響のエコシステム全体を自社で作ろうとは考えておりません。私たちはどのブランドでも、特定のハードウェア、ソフトウェア、プロトコルに依存しないようにするべきだと信じています。オープンAPIを使用することも必要ですね。例えば、今挙げていただいたXilica以外にも、CrestronのコントローラーやQSCの会議システムなどもサポートしています。また、Microsoft TeamsやZoomなどのWebミーティング・プラットフォームの認証を取得しています。私たちは、システム納入業者やユーザーが問題解決のためにシステムを構築し、その中で我々のマイクが最高の役割を果たすことを願っています。
−会議室はもちろん、スタジオやライブにおいてもAoIPによるネットワークオーディオが重要視されてきました。SENNHEISERグループでは特にNEUMANN製品での採用が目立ちますが、AoIP(Audio over IP)の可能性についてはどのようにお考えでしょうか。
ダニエル 現在はAES67とDanteが主要な規格ですが、Neumann MT 48やKHシリーズ、SENNHEISER Evolution Wireless DXはDanteとAES67の両方をサポートしています。また、将来的にはクラウドとの連携も視野に入ります。クラウド上からシステムを管理して、IoTシステムにインテグレートすることができるようになります。ただ、ユーザーからして見れば、それがクラウドにつながっているかどうかやAoIPを使っていることを意識せずに使えることが重要です。
最終的な目標は“感情を創造すること”
−先ほどから“ユーザーの問題解決が新しい発想の素になる”とおっしゃっていますが、一方で、その解決策となり得る技術を持っていることが、SENNHEISERグループの強みなのではないかと思いました。
ダニエル SENNHEISERの強みは、技術を発揮することで問題を解決することです。私はそれをもう一歩進めていきたいと思います。私たちの至近の目標はお客様の問題を解決することですが、最終的な目標は“感情を創造すること”です。お客様が興味を持っているのは技術ではありません。音楽や会議などでテクノロジーを忘れ、真の音やスムーズな会話を生み出すことが大切です。イマーシブオーディオの研究をしているのも、感情を創造するからです。サイエンスはそのような音楽の瞬間を生むためにあり、その音楽は感情を生むためにあるのです。だから私たちのビジネスの本質はエモーションであって、テクノロジーではありません。
−来年、SENNHEISERが80周年を迎えるそうですが、その伝統のある家業を受け継いでいることを、ダニエルさんはどう感じていらっしゃるのでしょうか。
ダニエル 鍵は私たち自身を“再発明”することだと思います。私たちは長い間家業にかかわってきていますが、それは挑戦の歴史でした。私とアンドレアス兄弟は今、第3世代のオーナーとして会社を経営しています。私たちは挑戦し続け、新しい問題を探し、直面し、新しい製品や新しい解決策を追加していきます。また、長年にわたってコンシューマーオーディオの分野でも成功を得ることができましたが、今はプロオーディオに注力しています。SENNHEISERは音だけに注力し、録音、プロセッシング、ミックス、再生に集中し、しかもそのすべてを扱っている。それがSENNHEISERの大きな特徴であると思います。