Netflix独占配信として、2024年11月に公開されたアニメーション作品『Tokyo Override』。AIによって最適化された100年後の東京を舞台に、はみ出し者たちが巨悪に立ち向うというサイバーパンクな世界観が魅力の作品だ。同作はDolby Atmosにも対応しており、作品内で描かれる“時代遅れ”なオートバイ・シーンなど、空間オーディオを活用した見応えのあるスピーディ・アクションも展開されている。そんな『Tokyo Override』の音楽制作について、携わったスタッフたちへ話を聞いた。
OVERVIEW:『Tokyo Override』
舞台はAIによる“最適化”が進んだ100年後の東京。孤独を感じて生きていたティーンエイジャーのカイは、唯一の友人からの危ない頼みごとを引き受けてしまったことで、思わぬトラブルに見舞われていく。そんなカイの前に、乗り物もすべて自動で動くこの世界では、もはや絶滅寸前とも言えるオートバイを乗りこなす、はみ出し者集団が現れる。カイと彼らは突如起きた死亡事故の調査を通じて、ユートピアと思われた東京の衝撃の裏側を目撃していくことに……。
Netflixシリーズ『Tokyo Override』独占配信中
監督:深田祐輔、ヴィーラパトラ・ジナナヴィン
プロデューサー:深田祐輔、ソーンピレー・サブサムスリ、クァンチャノク・ミーシンパ
アニメーション制作:RiFF Studio
出演:ファイルーズあい、竹内良太、前野智昭、伊瀬茉莉也、千葉繁、芹澤優、大塚芳忠、入野自由、甲斐田裕子、ほか
曖昧な民族性の声がハマった
100年後という未来の東京を描いた『Tokyo Override』。世界はテクノロジーで満ちているが、その映像を彩る音楽にはひずんだエレキギターやベースなど、オールドスクールさを感じさせる要素が盛り込まれている。「近未来において、登場人物たちが古いバイクに跨って走るという世界観からインスピレーションを受けたんです」と語るのは、劇伴作曲を担当した加藤賢二だ。
「普段はプロダクションの終盤で音楽を作りはじめることが多いのですが、『Tokyo Override』では線画に監督が仮でセリフを当てた部分が少しあるという程度で、SEも入っていない状態から作曲がスタートしました。ワールド・ビルディング(世界観の構築)の資料として400ページほどのPDFを監督が用意していて、それを基に曲を構想していったんです」
監督が思い描く世界観には“独自の音”が求められたという。その一つが、先述のオールドスクールな要素だ。デジタルなサウンドだけでなく、エレキギターやエレキベース、アナログ・シンセなどをうまく融合させることで、主人公たちのスタイルを音で表現しつつ、カオティックな雰囲気を作り上げた。
「この『Tokyo Override』の世界でアナログな存在であるバイクを愛する主人公たちは、もしかすると聴く音楽も一昔前のサウンドなんじゃないかと。そんなイメージから1990〜2000年代初頭くらいのバンド・サウンドを取り入れることにしました。シンセはMOOG Matriarchをよく使い、作った音をリズム・マシンやDAWに読み込んでパターンを作ったりしていましたね」
独自の音を作るために加藤がさらに行ったのはフィールド・レコーディングだった。自ら収音したさまざまなサウンドを楽器化しようと、試行錯誤を重ねたという。
「鳥の鳴き声や鈴のような民族楽器を録り、グラニュラー・シンセで音を引き伸ばしてパッドにしてみたりしました。“『Tokyo Override』では風が重要だ”ということを監督が話していて、その風を表現するのにそういったパッド音がハマるのではないかと思ったんです。音作りにはABLETON LiveのGranulatorを活用しました。そのほか、MAKE NOISE Morphageneに音を入れてパラメーターをグリグリといじりながら作ったこともありますね。ちなみにサウンド・メイクではLiveを使うことが多いのですが、プロジェクトをまとめるときはSTEINBERG CubaseやAvid Pro Toolsを使用しています」
クワイアのような“声”をモチーフ的に使っていることも特徴だ。タイトル・シーンで使われる「Tokyo 2126」のトライバルな歌声は、視聴者に『Tokyo Override』のアトモスフィアを伝えてくれる。
「Luxuriant Studioで女性ボーカル2名に歌ってもらいました。僕が声を使った劇伴が好きということもありますが、やはり独創的な音を作りたかったという考えから生まれたアイディアなんです。どんな民族か分からないあの感じが監督にもハマったようでした。それでいろいろな曲にモチーフとして入れ込むことになったんです」
Dolby Atmosでの配信を意識して作曲した部分はあったのだろうか? 加藤は「話数を重ねるごとにDolby Atmosのことを考えて作った部分が増えていきました」と語る。
「Dolby Atmosは今回が初めてのチャレンジでした。そのため、1話目の時点ではまだステレオのときと同様の意識で作っていましたが、時間を経て“セリフとかぶらないように歌はここへ逃がせるかも”など、定位でコントロールするアイディアを得ることができたんです。例えば「Beyond Digital Wall」という曲にはラップが入っているんですが、そのラップを上方に定位させることでセリフとのかぶりを回避する、ということをやっていました。ステレオの場合、“セリフとかぶるからこの楽器はステムで抜く”ということもあるのですが、そういった問題を定位で解決できるDolby Atmosのほうが自由度が高いと言えるかもしれません」
空間を拡張するマイクを追加
楽曲のミックスは長谷川巧がメイン・エンジニアとして担当しており、さらにDolby Atmos音楽制作の識者として古賀健一もアドバイザーを兼ねて参加している。「長谷川さんも賢二さんも、話数を重ねてどんどんパワーアップしていきました」と古賀は言う。
「制作時期はちょうどDolby Atmos対応のプラグインが増えはじめた頃で。みんなで新しいプラグインをどんどん試しながらアイディアが生まれていきました。“ミックスでは間に合わなかったけど、これを使ってみてください!”とダビング段階に持ち込んだりもしましたね(笑)」
音楽では9.1.6chの中の10のベッド・チャンネル、6のオブジェクト・チャンネルが使用された。ただし、パンニングの動きはあるものの、曲の制作段階ではオブジェクトとしての動きは使われていない。その理由について古賀が話す。
「楽曲制作時点ではダビングにおいて効果音やセリフがどう鳴るのか、曲がどこでどのように使われるのかは未知数な部分があります。その状態でオブジェクトを動かしてしまうと、セリフや効果音と合わせるダビング作業時に、MAミキサーの負担が大幅に増えてしまいます。だから基本的には固定のオブジェクトとして制作し、4ステムにしてダビングへ渡しました。今回はDolby Atmos Homeなので、9.1.6chが最大再生数です。映画館ではまた再生方式は変わりますが、9.1.6chの中でしっかり配置をしてパンニングをすれば、オブジェクトで動かすのとそこまで大きな違いもなく表現ができます」
Dolby Atmosでの制作で新たに感じたことはあったのか、長谷川に尋ねると、「ワイド・スピーカーという武器が増えたのが新鮮だった」と話してくれた。ワイドやトップを使った“面で鳴らすサウンド”の意識を持ち、古賀のXylomania Studio 2で制作を進めていったそう。「今では長谷川さんのスタジオもDolby Atmos対応になっています」と古賀。『Tokyo Override』を経て、長谷川のスタジオStudio Arteも進化していったそうだ。「やっぱり家でも音をチェックしたいので……」と長谷川が続ける。
「もともと7.1.4chでしたけど、ワイドもハイトもサブウーファーも足していって、『Tokyo Override』の最終話を作る頃に9.1.6chのシステムが完成しました。先日はスクリーンの見積もりも取ったんです(笑)。やはり大きな画を見ながらミックスすると、空間への意識が段違いに良くなりますから。さらに今では9.2.6chのシステムに拡張しており、スピーカーはIK MULTIMEDIA iLoud Precision MTMをL/C/Rch、iLoud MTMをトップ、iLoud Precision 6をワイド、サイド、リアに置いています。サブウーファーはFOCAL PROFESSIONAL Sub6×2です」
音響効果やセリフも含めたダビング・ステージでDolby Atmosとしてまとめられるため、その段階をイメージしながらレコーディングも進めていったそうだ。ハンガリー・ブダペストのイースト・コネクション・ミュージック・レコーディングで録音したストリングスでは、Dolby Atmosを踏まえたマイキングが施された。長谷川が次のように解説する。
「そのスタジオではサラウンドを想定したセットアップを準備してくれていて、デッカ・ツリーとアウトリガー、サイド、リアのマイクがありました。ただ、Dolby Atmosにするために上方の成分があったほうが空間が広がって臨場感も良くなりますし、古賀さんと相談して“後からリバーブで作るのではなく、マイクを立てよう”と決めて。スタジオの方々もとても協力してくれて、無指向性のDPA MICROPHONES 4006Aとアンビソニック・マイクのSENNHEISER Ambeo VR Micを借りて天井付近に立ててもらいました」
リア側で響きの大きさを感じさせる
効果音制作については、音響効果を担当したオトナリウムの倉橋裕宗に話を聞いていこう。本作で欠かせないバイクのサウンドは、ヤマハ発動機や本田技研工業の協力を得て制作されたそうだ。実機のバイクのサウンドを使うことで、リアリズムにこだわったチェイス・シーンが作られている。
「バイクへ乗り込むなどの人物の動作は、映像に合わせてマイクの前で演じて録音しています。整備しているガレージ内なのか、それとも外なのか、環境による響きの影響もあるので、それに合わせてライブラリーの素材を組み合わせたりしてサウンドを制作していきました」
『Tokyo Override』はテクノロジーであふれた未来が舞台だが、すべてがスムーズに動く世界は意外にも静かだ。
「キーワードとなっていたのが“最適化”でした。テクノロジーが発達した世界は音であふれていない。だからこそ、バイクのような少しノイズ感のあるリアルな音というのが鍵になっていたんです」
収録時はDPA MICROPHONES 4006AやSCHOEPSのガン・マイクなどを使用したという。オトナリウムには効果音制作/収録用のフォーリー・ステージがあるそうだが、空間の響きはどの程度含めて録音したのだろうか?
「フォーリー・ステージは少しだけライブな環境にしているんです。デッドすぎると作業も疲れますし、セリフなどのほかの音となじみが悪くなってしまう場合もあります。収音時は音源から5〜10cmくらいで少し距離を取ってマイキングして、音のなじみを考慮しつつ録っていますね。完全なオンマイクというのは、セリフで言うと心の声のモノローグのようなものです。その状態で足音や衣擦れを聴かせるということはほとんどないですから」
映像を空間的に彩る効果音は、Dolby Atmosの恩恵を受けやすいと言えるだろう。「リアの解像度が上がるのは、音響効果にとってとても助かるんです」と倉橋は話す。
「リアに加えてトップもあるので、響きの大きさを感じさせやすくなるのはありがたいです。狭い路地にバイクが入ってエンジンがレブリミットに達しながらパンするシーンでは、オブジェクトのダイバージェンスを調整して後ろ側のスピーカーが全部鳴るように演出したりしました。5.1chの場合でも、センター・スピーカーのパーセンテージをうまく使うことで奥行き感を生み出せますが、それと同じ発想がDolby Atmosではより効果的に作用してくれる印象です」
倉橋はPro Tools 2023.12で内蔵されたDolby Atmos Rendererで制作を進めたそうだ。「実用レベルの使い勝手です」と、近年のPro ToolsとDolby Atmosの親和性を評価する。
「以前はDolby Audio Bridgeを経由していて動作が重くなってしまったりもしたのですが、Pro Toolsのバージョンが上がり、Macの性能も向上したおかげもあって、とても快適に制作できるようになりました」
セリフと音楽に同じリバーブを
ここまでの話でも挙がったように、Dolby Atmosのサウンド・フィールドは音のすみ分けの面で大きなメリットがある。特に、人物のセリフが大切な映像作品においては重要なポイントだ。MAを担当したタバックの阿部智佳子はこう語る。
「ステレオだと、周りの音要素を抑えないとセリフが前に出てこないという場面があります。しかし、Dolby Atmosだと定位によってスペースを作ることができるので、音楽もセリフもしっかりと出すことができます。みなさん、制作段階でそのことを想定して音を逃がす場所を考えてくださっていたので、こちらも大変助かりました」
オブジェクトの配置でセリフを演出することもあるのだろうか?
「例えばタクシーに乗っているシーンで、天井からアナウンスが聴こえるようにしたりしました。でも、大胆にセリフを動かすことは少ないですね。視聴者の意識が音の動きに持っていかれてしまいますし、あくまで違和感が少ないポイントで活用するイメージです」
主人公たちの拠点となるガレージでは、後ろから呼びかけられる声の位置関係をオブジェクトの配置で表現した。倉橋も「高さのあるガレージを感じさせる響きで、気持ちいい聴こえ方になっていた」と話す。声優が演じたセリフはNEUMANN U 87 AIで収音されており、後から画に合わせてアンビエンスが加えられる。その際、古賀からは“音楽も画になじんだ響きにしたい”と阿部へオーダーがあったそうだ。
「セリフのリバーブはFABFILTER Pro-R 2を使いました。それを音楽にもかけることで、画とセリフ、音楽がトータルでなじんでくれるんです」
MA作業が行なわれた御苑音響スタジオは、『Tokyo Override』制作中に完成した新しい空間だ。ダビング作業を進めたBスタジオにはコンソールのAvid S6、GENELEC The Ones 8341Aと7360Aによって構成された7.2.4chのモニター・システムが導入されている。ダビング時は倉橋と阿部でフェーダー8本ずつ、合計16本を使って作業をしていたという。S6はチャンネルのレイアウトを自由に設定できるのが魅力の一つで、こうした2人での作業も快適に行えるようだ。S6の操作性について倉橋がこう続ける。
「ポスプロではツーマン、スリーマンでの作業がよくあります。そんなときでもS6ならセッティングも変えやすく、空きチャンネルを作ってディスタンスを含める、ということも可能。フレキシブルに使えるのはS6ならではだと感じます」
BスタジオにはAvid Pro Tools |MTRX IIが、メイン/サブ/FX用として3台用意されており、セリフ用やダビング用、音響効果用として使われている。それらをS6に集約してコントロールできるという点も、エンジニアたちは評価していた。
Dolby Atmosの機材環境が進化していく中で制作された『Tokyo Override』。その世界観と同じく新しいテクノロジーに呼応し、スタッフたちが試行錯誤を重ねて作ったそのサウンドを、ぜひNetflixやApple Musicで体験してみてほしい。